仕組みに対する目線






 「過程より結果」
 これを突き詰めると「いろいろな考え方とかやり方とか試行錯誤はあるかもしれないけど、最終的には金にならないと意味がないよ」という話になるように思う。で、この最終的に金という考え方はかなり強力に社会を支配していて、常識になっていると言ってもいい。でもこれって例えば米を作ることが結果的に金になるということと、金を稼げればなんでもいいんだけどそのうちの一つが米ということでしかない、ということだと、これはもう全然現実として違った形になって表れるなと。要するに「米なんて買えばいいんだから作るのは手間暇かかるしバカバカしい」ということになって、結局農業は衰退している。それは出来事のある一面を示しているに過ぎないのであって、実際は「金」という結果にアプローチするたくさんの手段のうちの大きなものの一つを失うということと等しい。だから、金がすべてだというのは正しい、結果が大切というのも正しい。でもそれによって結果的に自由になりその米に代わる手段を別に手にしているわけではないとすれば、それは実質的に単なる衰退しか意味していなくて、そうであるにもかかわらずそれが進歩的であるかのようになっている。これって極めてヤバイことだと思うし、日本を衰退させている強大な勢力のうちの一つだなと思える。要するにメンドクサイのだ。そのメンドクサさと引き換えに、経験、知恵、価値を現実に生み出すということ、そうしたこと全てを捨てているのが実態だと言っても間違いない。


 結局何やってるのかって、そうしてゴミ扱いされてきたものをほじくり返すためにゴミ箱をあさっては「掘り出し物めっけー♪」と言って喜んでいるような人生歩んでるような気がします。失われた30年とか言ってるけど、実際は失われた、なんてものではない、メンドクサさと引き換えに大切なものをできるだけ多く失うことを選んできたのが日本人だと思います。




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