新戦国策2-4、游騰が周の滅亡を予言する話





 ということで前回は布(ふ)という男が周君を諫めるという話でした。次の太子決めるんならもっとばっちり決めとかんかいと。でないと斉だの楚だのから付け込まれる隙を与えますよと。きちんと決めとかんと行間から付け込まれる隙を与えてしまう。そういうお話でした。


 秦の方では、樗里疾(ちょりしつ)に兵車百乗をもたせて周に入らせた。周君はこれを迎えるのに兵卒を並べることで秦に敬意を示した。楚王はこれに大変怒り、周を責めるのだが、その責め方というのは秦の客人を丁重に扱うことによってなされたのである。游騰(ゆうとう)はそこで楚王に言った。
 「その昔智伯(ちはく、智瑶(ちよう)、智襄子(ちじょうし)とも。豫譲(よじょう)という有名な刺客が仕えたことで有名か)が夷狄(いてき、要するに異民族)である厹由(きゅうゆう)を討とうとしたことがありますが、まずはこれに大鐘を送り、それを乗せるのに大きい車を用意し、(道を切り開かせて)入る時に兵士を送り込みました。こうして厹由は滅んだのです。それに対する備えがなかったために厹由は滅んだのです。
 また、桓公(斉国の人で、春秋の覇者と呼ばれる)が蔡(さい)を討ちましたが、楚を討つのだと言いながら、そうして蔡を襲ったのです。  今秦は虎狼の国だと言えます。周を併呑しようという企みがあります。樗里疾に兵車百乗をもたせて周に入らせました。周君はこれを恐れ、蔡や厹由のことを考えてこれを怪しんでおります。それだからこそ、矛をもたせて前を守り、強弩をもたせて後ろに控えさせ、名目上は樗里疾を守るためだと言いながらも、その実は周を併呑しようとしているのであります。これでどうして周君は国を愛する心があると言えましょうか。一日で国を滅ぼして、楚王を憂えさせることになるだろうことを恐れております」
 これを聞いて楚王は喜んだのである。


 ・智伯(ちはく)という人がいますが、この人ちょくちょく話に出てきますね。
 春秋時代は晋(しん)という国が三つに分裂して韓・魏・趙(かん、ぎ、ちょう)になったことをもって終わり、そこから戦国時代に入ったとよく言われますが。この智氏というのが非常に強く有力な家でして、韓と魏とはこの国にへいこらしてました。で智氏が言うことを聞かない趙をやっつけるぞと言いますが、恨みに思っていた韓と魏とが裏切ったので智氏は滅んだということですね。智伯はそのおかげで嫌われ者でしたが、豫譲(よじょう)という男がこの智伯に恩義があったので、趙の当主を付け狙うことになったということです。だから本当は韓・魏・趙にならずに「智」って国ができていたかもしれないし、あるいは「晋」という名目で智氏に乗っ取られた、なんて現象が起きても不思議ではなかったと。まあそうはいっても滅んでいるので何とも言えませんね。


 ・斉の桓公(かんこう)は有名ですね。管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)が仕えた人です。
 桓公自体はすごい人ではなかったのですが、管仲が非常に優れた人で、そのおかげで斉はグングンと国力を増していきます。その後も孫子の兵法で有名な孫臏(そんぴん)が使えたりすることで、「東の斉と西の秦」とか「強兵の国」というイメージで語られます。まあ孫子は今では孫武という人だったという説が強いのですが。
 こうした強兵の国である斉も楽毅によって打ち破られ、その後は一気に滅亡に受けて進んでいきます。


 ・本当は秦からたくさんの軍がやってくることは周を味方につけたいんだとか威光を借りるとかそういう意味合いがあるわけです。斉も楚も、その周の後光にあやかりたいわけですけど、秦もそのうちの一つだということです。立ち位置としては、日本の戦国時代の朝廷に近いのかなと思うんですが、似てはいるとは思うんですがはっきりと一緒だと断定はできません。衰退しても腐っても鯛みたいな立ち位置なんでしょうね。
 で、それを踏まえての秦の行動の真意がわかるから楚としてもクソ、秦めと思って怒りを感じるわけですが。恐らくこれには、楚の時にはこんなに兵隊並べてまで歓迎してくれなかったぞ、オレんところを下に扱いやがったという感情が恐らくは混じっているものと思われます。


 游騰(ゆうとう)は周はバカだからこのままだと滅ぶぞと予言します。ですからこの游騰は楚の臣下なのでしょう。他国の兵を入れて滅んだ国は多いと。厹由(きゅうゆう)もそうだし蔡(さい)もそうだった。周もまたそうであるに違いない。つまり、バカだから滅びますと。バカだから他国である秦の兵士を自国内に入れて歓迎できたりできるのですというわけです。自分が下にみなされてムカっとした楚王はこれを聞いて自尊心を回復できて喜ぶ、と。こういう流れだろうと思います。



 ・そもそもこの話は赧王(正しくはたんおう、ですね。「か」とか「かく」だと勘違いしていましたので訂正)の話ですが。
 そしてこの後に秦によって滅ぶことになるわけですから、游騰の予言は正に当たっていたと言えるでしょう。まあ厹由とか蔡とかと違って兵隊によって無理やり併呑されたわけではないということはあるわけですが、それを許していたということは示唆的だと言えます。


 いろいろな故事を踏まえて、本来なら憂えるべきところで憂えず、喜んだりしている。そういうことが一体どのような事態をもたらすかという意味において、示唆的な話だと思われます。






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