・前回赧王(たんおう)ってことでしたが、ページをめくってみると三がない。あれ? おかしいぞとめくっていってもありませんでした。つまり、三はなく、この西周編の赧王についてはあと20ページ分ほど続くことになると(笑)一がものすごく短かっただけに、二も一ページくらいだと誤解してました(笑)
ということで、前回は楚での司馬翦と左成という人の話でした。司馬翦の話に左成がアドバイスしたって話でした。
斉王に言うには、
「王はどうして領地をもって周最(しゅうしゅ、周の五人の庶子の一人)に与えて、太子としようとなさらないのですか」
斉王はこれを聞いて、司馬悍(しばかん)に金をもたせて周に行かせた。左尚(さしょう)は司馬悍に言った。
「周がこれを聞かなければ、これによって貴公の知恵は行き詰まることとなり、国交は絶えることになるであろう。貴公はそうではなく、周君に言うのだ、
『誰を太子となさるおつもりですか。こっそりこの悍に教えてください。悍は斉王に言って、この件を進めるのに斉の領地を持って行わせましょう』と」
左尚はこの献策によって尊敬されることとなったのである。
・前回とそっくりなくだりですが。
この一文目ですが、主語がありません。「誰が」「誰は」がないので、誰が言ったかわかりませんし、このままだと前段のくだりを受けそうですが、注に書いてあるのはそうではありません。伝わってこなかったのであろうと。またはこの本、あるいはこの伝の作者がという意味で、不要なので省かれたのであろうと。そういう意味で主語がないのだろうと書かれています。
・「同事異伝也」と注には書かれていますが、まあ前回のとほぼ全く同じ話です。楚でもこうだったけど、斉でも実はこうだったよと言いたいのか。あるいは、この話の末にある通り、これによって献策した左尚(さしょう)はその後尊敬されたのだそうですが、前回のくだりではアドバイスした側ではなく、動く側が尊重されたとありました。ですから、相国というナンバー2がいたわけですが、アドバイスした左成ではなく司馬翦が使われたのだと。斉ではアドバイスしたヤツが尊敬されたのに、楚では動くヤツが尊重されたという風土の違いを意味するものなのか。あるいは書き方が違うだけで実際に言いたい内容は同じなのか。こういうところはちょっと読んだだけではパッとはわかりませんね。
・ついでに前回の左成にしろ今回の左尚にしろ、特に書いてはありませんが個人の固有の名前なのか、それとも左とか右をつけて尊重する向きがあったのか。左大臣とか、「~の右腕」とかありますが、そういう意味での知恵者という意味で使われているのかよくわかりませんでした。あんまり左という姓の人を見かけることがないので、多分個人の名前ではないのだろうなあと思いつつ、特に指摘がないのでとりあえずこうして書いてあげるだけにします。
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