新戦国策2-1、赮王(たんおう)






 周の共太子が死んだ。五人の妾の子がおり、誰もが口々にわが子が適任だとして後継者を立てることができなかった。楚の卿である司馬翦(しばせん)は楚王に言った。
 「どうして公子である咎(きゅう)を封じて太子とすることを周君に請わないのですか
 左成(させい)は司馬翦に言った。
 「周君がそれを聞かなければ汝の知恵は行き詰まり、国交は絶えることになるであろう。
 そうではなく、周君に言って
 『どなたを立てようとお思いなのか、私にお教えください。この翦、楚王に掛け合ってその人を助けるために領地を掛けさせましょう』と持っていくのだ。もしもお主がその太子のためにしようと思えば、人をやって相国(しょうこく、楚の宰相位)の役をしている御庶子(ぎょしょし、世襲でその役職をやっているということが言いたい)である廧夫空(しょうふこう、日本で言えば八代目何々座衛門みたいな名前か)に告げなさい、
 『楚王はあの太子を擁立しようとお考えのようです。この司馬翦はなかなかやり手の男ですから、手元においておけば相国のお役に立つことでしょう』と。」
 相国はこの司馬翦を太子のために働かせたのである。


 ・一応注にはあるのですが、原文では「御展子、廧夫空(ぎょてんし、しょうふこう)」となってはいるのですがこれいろいろ説があるようで、「展」は「庶」の誤りではないかと。なので「御庶子、廧夫空(ぎょしょし、しょうふこう)」というのが正しいのではないかと言われているのだそうです。で、意味としては先ほども書きましたが、相国という大臣位を楚では世襲でやっているというのが御庶子、その具体的な名前としては廧夫空ということになるのだと。歌舞伎でもありますよね。「市川團十郎(だんじゅうろう)」とかいって、聞けば「ああ、あれか、あの歌舞伎の」となんとなくわかるヤツ。そういう感じでこの「御庶子、廧夫空」というのも捉えてよさそうです。「廧夫空」と聞けば「ああ、楚の大臣職を世襲でやっているヤツか」という感じなんでしょう。


 ・一応、この話では司馬翦(しばせん。司馬遷ではない)という男が助言をする人なんですが、でも左成(させい)という人にそれは間違っているんじゃないの? と止められています。具体的な公子咎(きゅう)を挙げているということになると、それは最も可能性が高いし妥当なんでしょうけども、そもそもそれで妥当であるならば難航しないで即決まっていても良さそうなものです。そうなっていないということにこれは何かあるぞと感じるというところが重要なのでしょう。妥当だし、可能性高いし、それと決まれば楽勝ですが、そう見えるところが罠なのでしょう。順序とか、愛情の云々とか、そういう妥当に見えるものが多いということはかえって罠に陥りやすいなと。司馬翦はその意味で最も妥当に見える道を行きつつも実際には罠にはまっている可能性がある。罠っていうのはそもそもそういうものですし、そういうところに仕掛けられているのが罠だと。そういう意味では罠っていうのは人なり生物なりのもっているその単純でストレートで短絡的なものというのをうまく掴んでいるものだといえるでしょう。


 ・こういう時に出てくる敵対する助言者って、つまりこの場合の左成っていうのは敵対者とか政治的に敵対しているグループを暗に表明するとか多いと思うんですが、今回はそうではないですね。司馬翦の言った意見を受け止めて、ここが悪いよねと言いつつ、さらに強化する。そして結局は司馬翦の意見を元にして、左成がアレンジして完成している。そしてそれが実行されているということになります。左成はその意味できちんとアドバイスをできている。これって地味に非凡だなと思います。あいつに手柄を立てさせてなるものかとか、その前に潰してやろうとか、潰すつもりなら何も言わず実行させてやろうとか、そういう魂胆を持ったものが多いなと思いますから。そういう意味での人の大きさというものを感じますし、その結果としての司馬翦の結果であり、その恩というのは左成にある程度かかってくるわけですから、左成はしたたかと言えるかもしれません。そういう意味での「潰してやろう」という小さい魂胆を抱くほどの小人物は多く見受けられるなと思うんですが、そういう巨大な魂胆を持っている人物というのはあまり見かけないなと思います。まあそこまで左成という人物を見るというのは見すぎかもしれませんが、もしもそうでなかったとすれば尚更余程の大人物だなと思います。まあやっていることというのは祖国である楚のために尽くすということなわけですが。そういう小さいことを地味にコツコツとできる人物が一番大きいということはあるのかもしれません。


 ・しかし司馬翦は楚王に言ったわけですし、それに横やりを入れる形で左成が登場していますが、そういう場なのに相国である廧夫空は一体どこで何をしているのかというのが不思議ではあります。そういう違和感はかなりありますが、そもそも楚という国が群雄の集まりであって、共和制というか、いろんな豪族の代表者の集まりという性質があって他の国とはかなり性質が違っていたようですから、どっかに出かけているということはあっても不思議ではないのかもしれません。
 これと話は違いますが、昭奚恤(しょうけいじゅつ)という宰相がいた時にはやはり楚王とその他の家臣とで話し合っていて、一体昭奚恤はどこにいるのかと思ったことがありますが、こういう風景が楚の日常なのかもしれません。「相国」という地位は要するに宰相だよと言われるわけですが。で、殷(いん)の時代の古い名残を中央から遠く離れた楚だけが残していると言われたりもしますが、実際にもけっこう変わった地位なのかなと。例えば秦とかでは宰相と王とが直接会話したりしていますから。



 ・左成という人は司馬翦のこういう助言をして出世したい、成り上がりたいという思いをある程度汲んでいたようです。注にもそういうような解釈がありますし、まあ実際にもそうだろうなと見て取るのは難しくないところです。表を見ると甲斐甲斐しく動き回っているのは司馬翦でしょうが、その実すべてを支配しているのは左成だと。そういう仕組みをこうして暴いて見せるのが戦国策らしいところではないかと思います。




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