旭川市のいじめ自殺を受けて考えた






 ツイッターとかはてなブックマークの方では持ちきりだと思うんですが、旭川市の方でいじめによる自殺があったというニュースに今日触れました。
 で凄まじい量の怒りと絶望と悲しみを感じていたら、久しぶりになんか物事を考えられる状態に戻ってました。よくわからないけど、多分一週間何も考えてなかったというかただひたすらぼーっとしてました。で、ツイッターでは散々そっちの鬱憤について書いてましたが、敢えてこっちでブログとして書くことってなんだろうなと。


 まずは状態の復帰についてですね。それこそ80~90くらいになるまでこのまま何も考えずに生きていくんじゃないかなと漠然と考えるくらいぼーっとしてましたので、それがまたなんで急にスイッチが入ったのか不思議でした。脳死っていったら言葉悪いですけど、まさにそんな感じだったのに。それが急に、まるで自分が怒りと絶望と悲しみを栄養源としているんじゃないかなというくらいに感じられたので、そっちでけっこうへこんだってのを感じました。これって人としてけっこう最低なんじゃないかなと(笑)多分私は生きている過程でたまたま成り行きでそうなったんだと思いますが、多分責任感とか正義感に火が付かないと、つまり怒りとか悲しみで火が付かなかったら多分もうほとんど死んでるんだろうなというのを思いました(笑)けっこう抜け殻なんですよね。それが今はガソリンが充填されたかのように頭が回ってます(笑)


 次に思ったのが、「コンクリ事件」ってフレーズ繰り返されますが、昭和のコンクリ事件、平成のコンクリ事件といえるようなものがあって、これも「令和のコンクリ事件だ」って言葉を今回も聞きました。まさにそうだと思うんですよ。で、そう思った時に大人ってのはホントに無力だなと。多分教師とか正義感とか熱意に燃えてとかちょくちょくあると思うんですけど、それでも結局止められるどころの話ではない。教師とか聖職である前にしがないサラリーマンでしかないんですよね。もちろん最も悪いのは加害者だし、親がどう教師がどうってのはちょっと筋が違うとは思います。それでも、こういう事件は今後も起こるんだろうなと。それを止められるだけの力ってもう親兄弟とか教師とか教育委員会がどうとか、そういうものにはもう全然ないんだろうなと思うわけです。そして少年法という治外法権があり、裕福な親の伝手で一生幸福に暮らしていく……これはもう怒っても絶望しても本当にどうしようもない。じゃあ開き直って生きようか、となるわけですけど、胸糞が悪くてどうにも落ち着かないんですよね。ハンムラビ法典では「目には目を」ですけど、あれって本当にやってることは不毛でも、社会的には非常に良かったんじゃないかなと思います。この少年法は「そんなムダなことはしない」という意味では有益かもしれないけど、社会的に本当に害悪垂れ流しているんじゃないかと思えてきます。悪い模範を次々と作っていっているしそれこそその治外法権を利用して若い時に好き勝手散々やろうぜと思っているんじゃないかと思えてなりません。


 ・ということなんですが、これは半面であって、小泉進次郎さんが「日本の人口5000万計画」とか言ったとか言わないんだとかツイッターで見かけたことがあります。つまりこれから人口を半減しようってわけですが、そうなるとどうしても海外、特に中国から人が来ることになります。先日のニュースでは、大阪でコロナで廃業した民泊を次々と中国人が買っているということが話題になっていました。2.4倍だとかなんだとか言ってましたけど、とにかく大規模に買っているんだと。こうして中国人が進出してきても、まあ政府としては消費税は入ってくるでしょうし事業は健全にやってくれるだろうから困らないと思います。万が一オリンピックやるにしてもそこは変わらない。しかし根本的に事業を中国人が買って中国人に合わせてやるっていうのはどうなのか。それこそ経営が成り立てば中国人街ができるかもしれないし、学校で中国語でやろうかというようなことにもなりかねない。要するに第二のウイグル化だなあと思ってます。ウイグルの次は人口が5000万となって弱体化した日本、それを具体的に狙い始めていると思ってもいいんじゃないかと思いますし、この二つのニュースが結びつかないとまずいんじゃないかと。じゃあ日本人がんばらないとねって話ですが、そもそも日本人は日本人同士でこうしていじめで殺し合い、ただでさえ少ない日本人が減少しているわけですし、学校という場所も「社会に出た後は金を稼がないといけない」ということについて具体的なレベルで話をしようとは全くしていない。この社会と学校の断絶って結構大変な問題だなと思います。仕事はともかくとして、まして産業とはなんぞや? ということが致命的なほど日本人には欠けている概念だなと。縁遠い概念ですし、「どっかで誰かがやってくれてるだろう(オレには一生関係ないけど)」という概念だと思います。


 大学でも一応企業のことを話したりすることはあったわけですが、そうなると「大学は就職予備校」なんて叩かれたりもするわけです。でもだからといって社会に出た後のことを一切教えないっていうのは極めて危ういんじゃないかなと。本当に社会に出た後は「社会人一年生」、右も左もわかりませんというわけですが、でもこの慣習って非常に危ういなと思います。次が分からない、そういう大局的な見通しが立っていないっていうのは、日本の最も危うい弱点と言っても過言ではないかもしれない。それこそ、「人口は武器である」とか「『殖』民政策」、つまり次々に外国へ進出して現地の人と結婚して子どもを作っていくという政策の前では無力だなと思います。そういう大局的な見地に立てている相手を前にしては。そういう弱さもある上に、「人口5000万計画」で勝手に自滅してくれる民族ですから、これほど危ういことはないなと。


 それを思えば恐らく30年後には中国の属国となっているかもしれませんし、それを悪く言えないなと。いじめ問題ひとつ解決できずに、対処対処で責任を誰かに回してやってきたのがこの日本ですから。本当の意味での「骨抜き」っていうのは恐らくこういうことなんだろうなと。本当に問題の根を引っこ抜こうとやってこなかったのがこの30年でもあります。昭和、平成、令和と何回悲劇をやれば気づくんだよっていう話ですね。滅ぶべくして滅ぶという話ですし、滅ぶことに妥当性がある。未来の仲間を減らすということに関しての危機感があまりにもない。そういう国に気づけばなってしまっていた。人がいるってことの重さを忘れてしまっている。いや何よりも人が人に対して持てる優しさってものがあまりにもなくなってしまっている。いかにも「昔はよかった」風な感じですが、言うほど昔は良かったとも思ってはいませんが。ただ、こんなんじゃダメだと義憤を起こすにはあまりにも虚しいし、かといって憤りを感じても妙に虚しい。何かをやろう、変わらなくては!!!と熱意を燃やせるだけの国なら、そもそもこんな事件が次から次へと起きたりしませんよと。そうしてなんだか妙に宙ぶらりんな感じがしてしまうって話です。滅ぶにせよ、滅ばないにせよ、まあ妥当に推移するんじゃないですかね、という妙に冷めた気持ちというか。身も心もすっかりおっさんになりきったってことなんですかね(笑)



この記事へのコメント

  • y=k

    私もこの事件の記事を見ていたので、きんたさんの意見をここで見られて良かったです。

    義憤、正義感からの怒りでエンジンがかかるのなら、それって悪いことじゃないですよ、やっぱりきんたさんって正義感が強い人なんだなって思いました。

    きんたさん、ごめんなさい、また余計なことを言います。

    きんたさんは、もう一度、また人を救ってみてはいかがでしょうか?

    きんたさんの文章からは理知的である一方、自分の状況の大変さと、やる気のない感じ厭世感があるのだけどその裏に物凄いやる気と、人を救いたいって気持ちが見え隠れしてて、自分の本心に足枷をして、苦しんでいるように思えます。

    本当にごめんなさい、何も知らないくせに出しゃばってしまって。
    2021年04月22日 01:11
  • きんた

    自己否定っていうのは、よくも悪くも莫大なエネルギーを生み出します。それがプラスに出れば、ああオレは至らなかった、オレはまだまだダメだったから努力しようという未来への方向性を生むと思います。私にもそうしたエネルギーはないではなかったですが、まあ10%ほどでした。
    私の場合はほぼ全てマイナス側に出ることになりましたね。やはりこれも自己否定ですが、これは人格否定であり存在そのものの否定でした。ああ、自分さえいなかったならば、別の他人だったならば、もしも過去が少しでも違っていたならば。そうした過去であり、または自分の人格というどうしようもないものに対してとてつもなくマイナスに自己否定をすることになりました。

    仰ることの意味、よくわかります。ただそうした自己否定とはあまりにも違った形であり違ったレベルでの自己否定をしてしまった。当時の私にはそれ以外わかりませんでしたし、今でもわかりません。それが悪い結果をさらに悪くする結果を招くことを分かっていても、この否定を止めることができない。
    恐らくは、テレビに出るようなこうした犯罪を侵すような連中ほどの生き方もすることができないし、もしかしたら私の憤りというのは、こんなに軽々と生きていき、人を殺しても迷惑かけてもお構いなしという人間を羨んでのものかもしれませんね。それくらいのこともできない。

    自己否定は決して悪いものではないはずです。というより、人がいつか高みを目指そうと思ったら必要な要素だと思ぃす。ただ、その薬もあまりにもあり過ぎて毒になりきってしまった。毒気にすっかり人生やられてしまった。まあ残念ながらその程度の人間です。そこまで分かっていながら人を救う、なんていうことが果たしてどこまでできるものなのか。恐らくはこういう人生を歩んでいなければ、普通にできていたことだとは思うんですけどね。

    > y=kさん
    >
    > 私もこの事件の記事を見ていたので、きんたさんの意見をここで見られて良かったです。
    >
    > 義憤、正義感からの怒りでエンジンがかかるのなら、それって悪いことじゃないですよ、やっぱりきんたさんって正義感が強い人なんだなって思いました。
    >
    > きんたさん、ごめんなさい、また余計なことを言います。
    >
    > きんたさんは、もう一度、また人を救ってみてはいかがでしょうか?
    >
    > きんたさんの文章からは理知的である一方、自分の状況の大変さと、やる気のない感じ厭世感があるのだけどその裏に物凄いやる気と、人を救いたいって気持ちが見え隠れしてて、自分の本心に足枷をして、苦しんでいるように思えます。
    >
    > 本当にごめんなさい、何も知らないくせに出しゃばってしまって。
    2021年04月22日 16:28
  • y=k

    かける言葉も見つかりません。

    幼稚な好奇心からパンドラの箱を開けてしまったような気持ちです。

    私が去ることが、きんたさんの希望になるのでしたら、ここでお別れです、さようなら、古傷に触れるようなことをしてごめんなさい。
    2021年04月22日 19:52
にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村