「こころ」/夏目漱石についての読書感想文その36(断絶)






 「断絶」というのが一つのポイントではないかと。というのは、前回も書いたがKと先生間には恐らく何か伝えたかったことがあるのに、伝えぬままKは死んでしまったというそういう「何か」がある。しかしそれというのはK→先生に対してだけかといえば案外そうではない。先生だってKに対しては、奥さんに言って抜け駆けしてしまっているわけだし、それを伝えないでいるうちに、奥さんの方からKに伝えてしまうことになる。こういう意味での内心とそれが相手に伝わるかどうか、伝えるかどうかであり、どのような形でそれは実現されるかということは一つのテーマになっていると考えられる。


 ・そういう目線で見ていくと、先生と妻(つまり御嬢さん)間というのは相当この断絶が大きい。それというのは主に先生の内心に起因するのだが。
 「私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存してやりたいのです」
 「腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うと益悲しかったのです」


 こうして先生と妻の間の断絶というのは先生の方が主導権をもって自覚的に知らせないようにしている、それにも関わらず先生は妻が理解してくれないということに対して不満を抱いているということがよくわかる。これは言ってないから妻としては知り様がないんだけど、でもなんで理解してくれていないんだと先生は不満を抱いているということで、この記述は明らかに矛盾している。筋を通せば、明らかにこれは悪いのは先生であり、言ってないのに理解してくれていないんだというのは自己矛盾だと言える。先生ー妻間でさえこの有り様なのだから、先生とKの間というのはどうなのか? ということは疑問を挟まれて然るべきものだと言える。


 ・ところがKから先生へは何もない。
 「中には私の予期したようなことは何も書いてありませんでした。私は私にとってどんなに辛い文句がその中に書き列してあるだろうかと予期したのです」
 二日ほど隔てている襖(ふすま)が開いている時があった、そしてそのうちの一日などはKの方から先生に声を掛けてきた。つまりは喉から絞り出すほどまでに何かを伝えたいことがあったのではと考えられるが、しかしKはその内容をしまい込んで話さない。その内容について先生が知ることはその後ない。
 しかしその大筋というのは前回も書いた通りであって、Kにとって人間性という弱さの象徴みたいなものが自分の中に湧き上がってきていることが許せなかった、しかもそれというのが段々と膨れ上がっていることがますます許せなかったということであり、これというのはKの自殺までの期間延々と繰り返されてきているわけだから、敢えて再度相談するまでもない、あるいはまた同じ内容を相談するのも気が引けるということになるのだろう。




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