ちょっとあんまり考えすぎて頭痛が……(笑)
「こころ」はちょっと休みが必要かもしれません。それくらいけっこう自分の内面を削りながら考えて書いている感じがありますので、たまには忘れようかなと思ってます(笑)まあ勢いも大切ですが、それによって健康を損なっていてはどうしようもないですね(笑)
ということでサソリの話を前回出しましたが、あれというのは私の中にあるものをすっきり整頓させたいという狙いが第一であって(笑)、その次の次の次くらいにKという男を分析したいなという気持ちで書いているものです。
だから書いといてなんですが、確かにKという男は何もなく無意味に死ねるほど感情の無い男ではない。新聞に書かれたような「気が狂って自殺した」というのはKという男を見誤っていると言えるでしょうし、そうではないということをずっとこの話を通して見てきたはずです。そして同様に、Kという男が悪意を持ってすべてを破滅させるためにやったのだというのを考えてみたわけですが、そうみていくとやはりいろいろと不都合が起きるわけです。そもそもそういう場面を見ていないのに、急に悪鬼の如く怒りに燃え盛り、その激情の赴くままに自殺した、というのは不自然です。つまりはこれも矛盾していると言えます。しかしじゃあムダだったのかといえば案外そうではないのではないかと。
無意味に自殺したということと、激情によって自殺したということ、この二つの極論が間違っている以上、答えを出すとすればその間に見ることはできるのではないかということです。つまりは、人間らしさの先に出した答えとしての自殺ということです。これに関しては先生がKにそういうものを見せようとしていろいろと世話を焼いているのが作中で見て取れますし、その結果として人に触れていく中でKは御嬢さんの事を好きになったという経緯があります。Kにとってのそういう素質を先生が伸ばしてやり、そして最後に手のひらを返して裏切った、つまりはその芽を摘んだという経緯がありますし、その直後にKは死んでいる。先生と争うでもなく、別にケンカするでもなく、身を引くことを宣言するでもなく、大人しく内心を秘めたまま死にます。
・この自殺というのを作中で何になぞらえたらいいかといえば三十一でしょう。
「私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。或は人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先では人間らしくないようなことを云うのだ。又人間らしくないように振舞おうとするのだ。私がこう云った時、彼はただ自分の修養が足りないから、他にはそう見えるかもしれないと答えただけで、一向私を反駁しようとはしませんでした。(中略)所謂難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどの位そのために苦しんでいるか解らないのが、如何にも残念だと明言しました」
これによって示されるものというのは、Kという男の自分で自分をこうだと把握しているものと、K自身がそれと気付かぬうちに進んでいるものとの対立だと言えます。Kは自分では人間らしさなど微塵もないと思っていますが、実際には話が進むにつれて奥さんや御嬢さんと触れ合ううちKの中に人間らしい感情が生まれてきており、それを先生は把握できているわけですが、Kとしてはその存在について認めるつもりが全くありません。自分自身がそういう人間であってたまるかという気持ちがあり、それについての自負があると言えます。
・二十八には、先生の気持ちが描写されています。
「私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかと云われればそれまでです。私は馬鹿に違ないのです」
こういう印象を抱いていたがために余計にKの内心というものをK以上に把握できていたというのはあるのだと思われます。一方のKとしては自分の内面について錯覚しており、「そうでないはずだ、あるわけがない」と思っているだけに認識もできていなければ、そもそも把握すらできていない。Kが自殺をする原因としては、この対立というのが決定打となっていると考えていいのではないかと。自分でもそうと気付かぬうちに伸びていたこの人間性が成長していき、御嬢さんを好きだと言っている自分にある時気づいてしまう。それに対して嫌気が差し、そういう自分を許せないと思ったというのが決定打ではなかったろうかと考えられるでしょう。
・だとすれば、先生に対してKが言いたかったこととは一体なにかということです。
もしも四十七のくだりで、奥さんがKに対して言った内容、これによって憎しみが決定的となり、関係が決裂しているのであれば、Kの部屋と先生の部屋とを隔てる襖(ふすま)が開いていることなど考えられるだろうか。閉まっていて当然だと思います。もしもKがあまりに強い人間であり、自分の弱さを認めることができなかったのであれば、そもそも相談などせずに普通に生きていた、あるいは自殺していたことでしょう。
それでも相談しようとしていた。つまり自分の弱さであり、その人間性について芽生えたものをどうしていいかと悩んでいたKにとって先生に相談できることは重要な意味を持っていたのでしょうが、しかしKの片面の矜持は恐らくその相談するということにある弱さすら認めることができなかったのではないかと考えられます。
この記事へのコメント