「こころ」/夏目漱石についての読書感想文その34(続中東のサソリ)





 毎日この手の話題考えてると、気が滅入りますな(笑)ボチボチ決着を着けたいと思ってます。精神衛生上決していいものではないと思うので。まあだから考えないということも良くはないというより悪いので、ある程度区切りがつくところまで突き進みたいと思ってます。


 ということで中東のサソリの話になるわけだけど、ここには裏切りの意味の多重性がある。それを説明するのは長くなるのでちょっと以下で書きたい。


 ・例えばA、B、Cの三つの道があるとして。Aは一人だけ一万円あげますよ、Bは何もありませんよ、Cは参加者全員が一万円罰金としてもらいますよとなっていたとする。
 プラスに考えていけば、
 ①じゃあAにオレだけ行こうと考えたとしてオレだけ一万円。後のやつらのことは知ったこっちゃありませんよということで、BだろうがCだろうが好きにすればいいとなるだろう。
 ②あるいはグループできていたとして、じゃあ一人だけ行って後で山分けしようか、というのも可能だろう。
 ③「そんなのは卑怯だから全員でBへ行こう」というのも最近の流れではあるといえばある。そんな抜け駆けみたいなことをさせるからチームの団結が崩れるのだ、という考え方。
 まあ妥当に考えればこの三つくらいが上げられるだろうし、独り占めするにしろ、あるいは分配するにしろ、①、②あたりが選択肢としては妥当なものになるのではないかと考えられる。


 中東のサソリの話で何が裏切りなのかっていうのは、この手の妥当性であり理屈に対する裏切りというところが非常に大きいと考えられる。プラスな道を進んで一万円を手にする機会も無くす、分配という可能性も無くす。それどころか、
 ④全員でCの道を進むと。一人だけ抜け駆けするでもない、誰かにとって得する要素があるでもない、それこそ仕掛人である自分に対する見返りというのを考慮するというのが当然の妥当性というわけだが、その妥当性を無視している。何もないということであれば全員でBの道を進むことになるわけだし、ある意味では仕掛け人の心というのは全員が得をしないというだけで満たされそうなものだが、しかしそれでは満足しない。仕掛人である自分も含めた全員が損をしなければ満足できない。「中東のサソリ」の話のヤバさというのはこの根底にあるべき何か、妥当性であり信頼性、当然それをしないだろうというものを当然のように破ってくること、それにあると言っていいだろう。それで残るのは何かといえば、「オレはサソリだから」というその気持ちが満たされるだけ、その満足感でしかない。


 ここで言いたいのは、人はそういう選択肢を往々にして取ることがあるということ。それもわざわざ中東まで話を探しに行かないまでも、身近に意外なほどこの手の話は転がっているということだ。つまりは、理屈であり計算というのも一つの軸に過ぎない。そして人にとっての満足を埋めるものは、別に電卓を絶対に使った先でしか算出できないというわけではない。というより、それすらも満足感を満たすための一方法でしかないということになる。


 そう考えれば、④全員をCの道へと突き落とすことは決して生易しいことではない。
 ③全員をBに行かせるというのはまだまだ優しい、①自分一人だけ抜け駆けして得しようという魂胆を抱くというのもまだまだ優しい。他人をBに行かせよう、自分だけがうまみをもぎ取ってやるというのはまだ優しさがあるといえる、しかしここで敢えて他人をCに突き落としてやろうというのは底意地の悪さを感じさせる。これによって自分はプラス1万円、相手はマイナス一万円であればその差は二万円となる。頭のいい奴はだからこそ他者を突き落とさなくては満足できないところがある。突き落とせば相手はマイナスからスタートであり、その0とマイナスとの差異が頭の良さであり、そうでなければ満たせないものがうちには宿っているといえる。しかしそれすらもまだまだ生ぬるい。こうして問題を、玉ねぎの皮を一枚一枚剥ぐようにして見ていくとすると、本当に厄介で手に負えない存在としての④「中東のサソリ」というものの存在が浮かび上がってくると言える。


 ・「中東のサソリ」風にこの「こころ」を眺めてみるとすれば、KはAの道を選び取ろうとした。そこでまずいと思った先生は、抜け駆けしてAの道を進み、そして御嬢さんを手に入れてしまった。その結果どうなるかまでは考えていなかったが、先生はその結果としてKはBにいくことになるだろうくらいに思っていた。ところがKは自殺してしまう。先生の「錯覚」というのは、Bなどという生易しい道は実はなくて、A以外の道はKにとってはどれも変わらない意味合いのものだった、というよりはっきりとCの道へと突き落とす意図のものだったと感じ取られたのだと。自分がAを選び取ったことが、BではなくCへと、つまりは結果的にKを自殺に追いやってしまったのだと「錯覚」した。そうして罪悪感が湧き上がってくることになる。


 ・そう考えるならば、御嬢さんを掠め取ったという先生の意図というのは明確にわかったし感じられた。そしてそれに気づかぬほどKはうすのろではない。恐らくそう見るということは、Kという人間をこの物語を通して、まだまだ見損なっているということだと言える。では、突き落とされたKはどう思うかといえば、全員を結果的にCの道へと歩ませる手を取った。恐らくはそれを計算したのがKではなかったかと。


 ここで一つの疑問が残る。それを概念的に思ったからと言って、では現実にそんなことができるものなのかどうかということである。結果的にはそれは達成されたわけだけど、そんなことが果たして人に狙って実現可能なものなのかどうかということだ。


 Kの死ぬ前日と死んだ日に、先生の部屋とKの部屋とを仕切る戸が開けられていたわけだが、これというのは明らかにKから先生へ何かを伝えようとしたということが分かる。それは具体的にでは何かといえば、そんな大局的な復讐というような回りくどいことをするよりは、直接「よくも御嬢さんを掠め取りやがったな」と言えばいいということである。それどころか、憎しみのあまり先生を殺害することも考えたろうが、でもそれは果たして真の復讐足り得ただろうか。それは自らの復讐心を満足させるものではあっても、真の復讐を果たすような性質のものではなかった。やられたら徹底的にやり込めるような性質のKがそんなことで到底満足できるはずがなかった。だからこそもっと別の形を目指すしかない。
 そうなると、自分が先に御嬢さんへの恋心を打ち明ける形での先手を打ったわけだが、先生はそれにこたえる形で奥さんに言って完全に掠め取った。Kの考える第三段というものはこうした流れをどうしても受けるものでなくてはならない。復讐に必要な要素としては、第一にこの流れを受けていることが必要だということであり、そうでなければ先生にそれと知らしめることは出来ない。先生にとっての「暗い影」というものはこの流れを受けているがために出現しているものであるということができるだろう。じゃあKの自殺を受けて、先生はどうするか、どのようにしてそれ以上を実現化するかということが常に問われている。この事に対する強迫観念というものが先生を自殺ではなくそれ以上の形へ、殉死へと向かわせる言動力となっている。いってみれば先生はKから宿題を出されたに等しい。
 第二に、自分という存在は先生にとっての支えであったことは間違いない。その支えが外れるということは、依存心の強い先生にとってはとても耐えられないものであっただろう。それも未来永劫先生へしっかりとした強いダメージを与えるならば、自分が死ぬということが最も強い形の復讐であると踏んだ。
 第三に、そうした一切は伏せておくということである。つまりは先生とKとはそれによって完全に遮断される。先生はKの意図であり真意を最期までわかることがない。依存心の強い先生にとって、そして叔父への憎しみを持つ先生、そしてKを同士のように考えていた先生にとってこれは耐えられないことだっただろう。
 第四に、先生と御嬢さんとの進む結婚という幸福の道、その第一歩はイヤでもKの自殺によって始められることになるということである。祝福ではない呪わしいものがそこにはびっしりとこびりついている。そして先生は御嬢さんが妻となった後も、妻の顔を見るたびにKのことを思い出すようなことになる。


 こうしてみていった先で、第五に先生にとっての致命的な点である叔父との一体化というのが起こることになるわけだが、ここまではともかくとしてこれは果たしてどこまで想定が可能か。狙ってできるものかという疑問は残るし、そもそもそう考えたとしても、他人の内面の深いところまで見通せるものかどうかといえばかなり疑わしい。つまりKが生前に「新しい白骨と新しい妻と新しい墓」という概念を考えたとして、その図式にぴったりと当てはまったとしてもかえって先生の方ではそれに衝撃を受けるようなことはなかったかもしれないし、ましてそこで先生が叔父と一体化して深いダメージを負うことまで考えついていたとはどうしても考えにくい。そうなるとその図式についてはある程度意識はしていたかもしれないが、それ以上になることまでは想定していなかったのではないか。つまり先生はKの思惑以上にあまりにも衝撃を受けすぎてしまったと考えられるのではないか。


 ・最終的に先生が破滅するかどうかが重要な点だが、現に先生は内面的にも破滅しているし、「殉死」という自殺を遂げる。それをKが狙っていたとするとあまりにもうまく行き過ぎているし、たまたまだというには不審な点が多い。文学的な根拠を探すとそうしたものはなかなかないのだが、かといって何もないのに先生が勝手に破滅したというのでは明らかにおかしい。この点というのをもっと掘り下げていきたい。





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