今回は本当に個人的な感想文です。
・一冊目が書き込みだらけで読めなくなったんで、買いに行ったら一冊も置いてなかったのにビビりました(笑)そんなに売れているのか、はたまた本屋さんが仕入れを忘れているのか怠っているのか(笑)
・そもそも文学なんてものは役に立ってナンボだなって感じが強くあります。「こころ」だってそもそもたまたま読んでいたから再び手に取ってみたものの、役に立つことがなければ文学の価値なんてないと思っていますし、役に立たないなら捨てていいと思っています。ちょくちょく言っているようにそれはあくまで「薬」であって、ある人には価値があるし、ある人には全く価値がない。それでいいと思います。効き目がないのに尊ぶ必要はないと思いますし、「こころなんて恋愛のもつれでしょ?」「Kは要するに失恋で死んだんだよね」というのであればそれはそれでいいと思います。
役に立つ人が時々いる、それがたまたま私とかであって、そういう人が「こころ」はおもしろいよと言う、それはあくまで「薬」としていいと言っているわけですし、その価値が見出せなければゴミ箱行きでも仕方ないと思いますし、そうならずに手放しで飾られて鑑賞されて薬としての価値を見いだされることなく「こころは名作だ」なんていわれて手放しに飾られるくらいなら、ゴミ箱行きの方を望んでいるのはむしろ「こころ」の方だと思います。そうであるのならば、じゃあその心意気に従ってゴミ箱に送ってやるのもいいだろうと。本望だろうと。そういうのは思いますね。
だから文学が本当に「薬」として力を発揮するのはそもそも読んでいるとか知っているとかであって、急に必要になったからと言って「これいいよ」と出されたとしてどこまでハマれるものかってのは疑問だと思いますし、そもそもそれをやり切れるだけの体力ってすさまじいほどいるんですよね。読書にも体力がいるなと思います。だから読んでおくことは「もしもの時」用でしょうし、それがたまたま財産となってくれて、薬として心に働きかけてくるってことはあるのかなと思いますね。
・「こころ」で一番印象的だったのは、先生が叔父はクソ叔父はクソと言いながら叔父の事ばかりしゃべってることでしたね。
正直なにこれ(笑)と思いました。あいつクソだと言ってKと繋がり、Kが死のうが死ぬまいが叔父がどうとかこうとかやっぱり言っている。それってつまり何かなと思った時に、これって依存心の裏返しだなと思いました。尊敬しているがための依存心から、裏切られて憎しみや怒りを感じてるんですが、それで叔父はクソだと言い続けるんですけど、それって要するにやはり叔父への依存を続けているんです。形を変えた依存をしている。でも本人はそうと気付いていない。
この依存と執着の意味が個人的にはすごいよくわかりましたし、天啓と言ってもいい閃きをもたらしてくれましたね。目のまえがパーッと開けるような。
だって、そんなに叔父が嫌いなら、無視して生きてもいいわけですから(笑)自由に生きてもいいのにも関わらず、やはり裏切られたという枠組みの中にいるわけです。親父たちの墓にももう一生行かんと言っているのに、やっぱり叔父が悪い叔父が悪いと言い続けている。そんなにイヤならもう気にせず忘れて自由に生きたらいいのに(笑)って話ですから。
・じゃあそれは何かって言えば、「叔父は悪いんだ」「最低だ」「あれさえなければ(今頃は)……」って言うことを言い続けていればこの先生はもう十分すぎるほど生きていけるってことなんです。だって悪いものを全部叔父が引き受けているわけなんで、悪いのは叔父だって言っていればもうそれなりに生きていける。10:0で叔父が悪いです。100%悪いわけ。
でもそう言えるっていうことは、本当に恐ろしいよねって言うことであって。それって実質的に「オレはもう一生叔父は悪いゾーンから出ないよ」っていう意思表明なわけです。甘々な、激甘な領域に閉じこもって、引きこもってもう努力もせずに他者を悪いと恨み続けていれば一生を送れる。そしてそれを実質的に選び取っているのは先生の方なわけです。
50年とか経って、「え、まだここにいるの」と言われても、「いや、だって叔父が……」と言える。「あの時ああでさえなければ」と言える。
でも本当は、叔父は確かに悪いけど、でもそこにい続けることを選んでるのはあんたでしょと。とっとと叔父の事忘れて生きなさいよっていうのが本当の優しさなんじゃないのかなと思います。
そういう体質の男が、Kが死んだ、じゃあKを忘れて生きていきましょうったって生きて行けるかといえば、まあムリですよねと。そもそもが依存と執着の男だった、でその男にKの死っていうあまりにも重いヤツがかぶさってきた、そうなるとああオレが悪かったとやっぱり執着してしまうんです。いくら、オレのせいじゃない、失恋死ではないと頭では割り切っていたとしても、まあ体質的にムリですよね。
・で、今回学んだ一番大きかったことはそれなんですけど、この見方によってものすごく開眼した感がありました(笑)いや、もう叔父のせいだっていうことを無視して生きようよっていうことがすごい重要だよねと。もうこれを学んだだけで十分だなとすら思いましたね。
でもまあそうやってこういうリクツを持ってきてこうして割り切れるものはいいですけど。これで割り切れないものってのは厄介ですよね。余りが出てきてどうもうまくいかない場合。そういう場合をじゃあどうして処理していったらいいのかということに関しては、この「こころ」でも力不足といった感じを否定できなかったですね。
・こうして後半部がまとまって、じゃあ中と上に戻っていけば大分見方が変わると思いますし、今まさにまとまったので適期といっていいとも思うんですが、実はあまり興味がないという(笑)
あーやったなあという手ごたえと充実感はありますが、そこから折り返して見ていくことにあまり興味を感じないというですね。上と中にそもそもあまり興味がないんですね。興味ないのに見て行ってもなあと思います。まあそういっても気が付けばやっているかもしれませんが(笑)、まあとりあえずここらで終わる気でいようと思っています。
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