・正直上はそこまでいらん気がするのではしょります。
・下が始まって短い期間、先生と叔父さんの描写が続く。
「何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました」
こうして先生の叔父に対する気持ちというのは圧倒的にプラスの気持ちであることが明かされる。
ところがこの「叔父夫妻が結婚を勧めてくる」に至って、先生の心には初めて「薄暗い影が投げられる」ことになる。叔父に対して圧倒的にプラスな気持ちを抱いていたのに、「あれ?なんかおかしいぞ」という疑念が芽生える。圧倒的なプラスがマイナス方向へと傾き始めた最初だと言っていい。
そしてそのベクトルあればこそ叔父に対する違和感に敏感になる。「ただ何かの機会に不図変に思い出したのです。すると妙なのは、叔父ばかりではないのです」
こうして先生は思うようになる、「私は今まで叔父任せにして置いた家の財産に就いて、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に対して済まないと云う気を起したのです」
そして叔父についていろいろ噂を集めていると、「叔父が市の方に妾を有っている」ということがわかってくる。それだけでなく、「一時事業で失敗しかかっていたように他から思われていたのに、この二三年来又急に盛り返してきた」ということもわかってきたのだと。ここから察することができるのは、はっきりと書かれてはいないが、どうやら叔父は先生の父の遺産を遊びに使ったり、事業につぎ込んだ可能性があるということであり。
そうして「とうとう叔父と談判を開きました」、ところが「叔父は何処までも私を子供扱いにしようとします。私はまた初めから猜疑の眼で叔父に対しています」
こうして叔父への不信感は膨れていき、また先生は経験を得る。
「普通のものが金を見て急に悪人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在し得ない例として、憎悪と共に私はこの叔父を考えていた」
「一口でいうと、叔父は私の財産を誤魔化したのです」
・先生の叔父に対する感情がプラスからマイナスへ、尊敬から憎悪へと激しく推移しているのが見て取れる。時間と共に、叔父に対する思いは刻々と変わっており、そしてもう元に戻ることはない。先生の中で人に対する感情がこのように推移していくということがまず一つ重要だといえる。
そしてまだ若くて経験のない先生は、世の中を知った経験豊富な叔父によってやり込められ、手も足も出ない。いくら憤ろうとも、怒ろうとも、熟達して慣れていない分野で戦うことはできない。まして相手がその分野で熟練しているというのでは分が悪いというのは言うまでもない。
こうして先生は大変に苦い経験をする。恐らく人生でももう二度と味わいたくないほどの経験だったろうが、しかしここで苦悩したことはしっかりと先生の糧となる。そもそも人は学ぶ生き物であるということが重要だ。それが嫌なことであるにしろ、もう二度と経験したくないと思ったにせよ、しかしそれだけイヤだったということは同時に非常に効果的だったということでもある。もし先生が人と対立しなくてはならない事態に陥ったとしたら、先生はその経験を元として事態を進めていくことになる。そもそも、人はそうして覚えたことをやるか、もしくはやらないか……つまりはAかBかくらいしか選択肢がない生き物でもある。CもDも同時に併せ持つような器用な人間などそう存在しない。その意味では、先生はその意に反して、叔父を手本としてあまりにも学び過ぎたといえる。つまりこれは何を意味するかと言えば、先生と叔父との一体化である。少なくとも経験的には先生は叔父のやり口をそっくりそのまま学んでしまった。そしてその他の学んでいない選択肢をほいほいとできるほどまでには先生は器用ではなかった。
・しかし怒りと憤り、憎しみと嫌悪感、憎悪、そうしたものは叔父と先生とを分かつものだっただろう。その意味では確かに苦い経験だったろうが、それは決してマイナスな経験だとは言えないものだった。むしろ使い道によっては先生の学んだそれというのは先生の役に立つものであったろうし決して役立たないものだとは言えないものであるはずだった。そこには仕切りがある。オレはあいつとは違うんだという確然とした仕切り、それは何かといえば先に挙げたような要素だと言えるだろうが、突き詰めると矜持である。これこそが先生と叔父との一体化を阻む最大のものだったと言っていい。
ところが先生とお嬢さんとKとの関係に影が差す。Kはお嬢さんに気持ちを打ち明けようかと思っていると先生に告げる。先生はKの先を越さなくてはならないと思うようになる。ここに至って先生は叔父との関係で学んだことを存分に活かす。
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という言葉でKを牽制する。Kが足止めを食らっている間に奥さんに「お嬢さんを私にください」と頼み込む。これによってKを出し抜くことに成功する……つまり、叔父から学んだこと、視野の広いものは視野の狭い者に対して圧倒的に有利であり一方的にやれるということをここで存分に活かしている。Kも奥さんも、お嬢さんもすべてのことは知らない。断片的な情報しか持たない。それに比べて自分は広い視野でいろいろなことを(特にお嬢さん関係のことを)知っている。Kは優秀だが、視野が狭い。視野が狭いのであれば十分に勝つことは可能である。
そしてそれは確かに正しかったのだ。それどころか非常に効果的だった……それは言うまでもない。自分自身がかつて散々叔父によって苦渋を舐めさせられてきた手法を、ただ応用として使ってみただけなのだ。そうしたところが話はトントン拍子に進み、先生は自分でも怖いほど話が進んでいくことに気づかされる。もう後戻りはできない……そのタイミングでKが自殺をする。これによって先生はとてつもない打撃を受ける。前に挙げたような自殺とその意味性の関係ということが先生を苦しめることになるのだが、しかし先生が思っていたほど、Kには失恋によって自殺したというような意味はそこにはない。その意味での「錯覚」が重要である。
・しかしそれ以上に先生にとって重要なのは叔父との一体化を果たしてしまったことにあるといえるだろう。
あれだけ嫌悪していた叔父との一体化。それを果たすことになった原因はKがお嬢さんを好きだと言ってしまったがために、先生が焦ったことにある。Kより早く手を打たなくてはならない……そしてそれはうまくいった、それどころかあまりにうまく行き過ぎたがために、まるで元々先生とお嬢さんとの結婚は決まっていたことでもあるかのようにKには告げられる。うまく回るという意味では、先生にとっては事態はあまりにも好転しすぎた。つまりはお嬢さんを手に入れるという目的のために、叔父という悪魔……いや悪魔というならもっと戦うに相応しい相手という意味も出てくるだろうが、ここでは叔父があまりに下卑た人間なのでそれにすら値しない。そうした人間と先生とがここで手を組んだ。私は叔父とは違うという気概もあったろうし、ああはなるまいという決意もあった、何より矜持があったろうが、そうしたものはすべてここで打ち砕かれる。このことが先生にとっていかに重要なものかということだ。
つまりはこういうことになる。共に身内によって痛い目に遭ってきたがしかしKは気高い精神をもってそれに屈することなく戦ってきた。そうした精神的強さを持ったKを友として共に歩んできたが、これによって先生はKを失った。
そしてこれによって先生はその念願通り、お嬢さんを手に入れることができた。
しかし、その手に入れた当の先生自身は、叔父との一体化を果たしてしまった。最も忌むべき人間と最も近くなってしまった。そして本来そうありたいと思っていた、オレもこうであればと考えてきたKは死んだ。死に追いやってしまった、つまりは最も遠い存在となってしまった。叔父に最も近い存在となる事がKからは遠い存在となることであり、Kと親しむことは叔父から最も離れた気高い人間となることを意味したのに。
こうして先生は最も卑しい人間と同化してしまう。
その最も卑しい人間である自分が、大切なお嬢さんを奥さんとしたところで何ができるだろうか。お嬢さんに、というより今では妻(さい)となった存在に何もしないということは、最も卑しい人間となってしまった自らにできる唯一の抵抗なのだ。そしてまた最も気高さというものに近づくことのできる手段でもある……といってもまあ微々たるものである、というよりあってないに等しいものではある。天井は低い、しかしのその低い天井内で最大限に高みを目指すことができる。「こころ」ということで重要なのは、この最も卑しい人間に図らずも堕してしまった先生が、最底辺でもがきながら、そう大した高さでもないけれど気高さという概念に対して最も高くありたい、あのKに少しでも近づきたいとするそのこころの動きということだと思う。そうして外面的には最も幸福であるはずの先生が、内面的には荒廃しきっている。
その意味でKと先生とは対になっている。Kが外面的には自殺しておりながら、内面的には失恋でショックだった、とかそういう意味を越えたところにいたように、先生は外面的には最も幸福でありながら、内面的には荒廃している。箱があれば中身を確認したい。自殺があればそれに見合った……というより我々を満足させるような期待に見合うだけの理由を我々は欲する。ちょうどそのように、外面が幸福であれば内面も充実しているかと思いきや、内面的には先生は荒廃しているというのだから。
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