「こころ」/夏目漱石についての読書感想文その2(国語教育の教材としての「こころ」と答え)






 ・Kが自殺した原因については小説内に書かれている通りであり、先生の回顧でも見られるとおりだが、恋愛だけが問題で自殺したとは考えられないというその先生の思いは正しい。何しろきちんとそれはそう書いてあるのだからそれはまさにその通りであり、Kが失恋して自殺したわけではないことは全文を読めば容易に知ることができる。
 とはいえ、高校の教科書というのは全文を扱えないのでどうしても切り取って提示することが必要になってくる。全文が対象なのであれば「ここに書いてあるから」ときちんと対象範囲を明らかにすればいいわけだが、じゃあ切り取った場合はどうなるのかということだが。
 これは、一応全文を読み解けば実はこの後のこの段にこう書いてある……と言って一応紹介するのが筋なんではないかと思った。全文としてみればそうなんだけど、でも高校の教科書はそのうちの一部しか示さない。
 では、その一部内でどう読み解いていくかという話になるのだけど、どうもその話の進み方というのが、実は後段にきちんと書いてあるんだけど、それにはあえて触れることなくでもそこの正解だけを掠め取って「Kは失恋が原因で自殺を選んだわけではない」という話に持って行っている感が否めないなと。分析によって話を進めるというよりは、掠め取られた正解の提示こそが正解ではあるのだが、でも本来はそうすべきものではないと思う。


 それこそ、仮にセンター試験で(もう古いか)まさにこの「こころ」の一場面が出たとして、「なんでKは自殺したのか」となった時に、当然後段に書いてあるじゃんという知識を得ているものが有利になり、知らない者は場当たり的に解いて正解あるいは不正解、というのでは誰も納得しないのではないかと。
 これと近い話が、センター試験に出題されたとある小説のその著者が1~5まで設問を用意された時に「いや、この場面のこいつの心情は1~5まで全部当たってるんだよ!」という苦情を出したこともあったという。しかしそれはあくまで場面を切り取られているわけだから、その前後の経緯を読み取った上で妥当だろうと思われる答えを選んでいくことになるわけだ。そこにある4つの選択肢の切り捨てには妥当性があるといえる。

 ところがこの「こころ」に関してはそういう話の進み方がなされていない。切り取られた場合には切り取られた内部で、その前後のみから判断し類推していくという方向性になるべきだと思うが、そうならない。あくまで正解は実は全文というのを考えた際に後段にあるんだけど、その後段の正解だけを持ってきて正解を判断すると。こういう話になる。そして実は答えが後ろにあります、とはならない。正解だけを借りてきて辻褄をそれとなく合わせて話を進めると。こうなるわけだ。
 でもこれが一体何を意味するかと言えば、国語教育の崩壊だと思う。切り取られた中で答えを判断するとすれば、それは恣意的に切り取られることもあるわけだから、全文を照らし合わせたものと全然違う答えが出てきても不思議ではないし、そういうことはたびたび起きても不思議ではない。ところがセンター試験では、全文と切り取りとを比較させて、実はここには出てないけど全文の中にはどっかに答えがありまして、それを踏まえると答えは1です、みたいなそういうやり方をすることはあり得ない。そんなことをしていては問題が成り立たない。


 そういう意味での国語の解答における二重性問題というのがあって、どうも国語自体はそれをそれと認識していないというのが非常に厄介な問題なんじゃないかと思った。数学はそりゃ矛盾していれば答えは違ってくるわけだから、普通の授業がセンター試験に通じていると言ってもいいものだった。しかし国語は違う。国語で伸ばしている「全文」という空気、そしてその空気感を読み正解を切り取り以外の範囲から求めてくる、というようなことはこれは国語力を欠損させるに等しいものだったのではないか、と今となっては思うし、教え手としては授業と国語の点数をいかにして結びつけるべきか、という危機感に乏しすぎたようにも思えるのだ。それこそセンター試験対策は漢字であり、コツコツと漢字を覚えていけば点数は取れる(ある程度だが)というような、10/200くらいの配点に命を掛けるのが国語という感じはあった。でもそれって190点の放棄ではと思うし、そういう対策をしなくてもいいし意識的に避けてきた、それどころかセンター試験での得点獲得法に真っ向から逆らってきたのが国語教育だったのではないかの実態ではないかと思う。


 まあ20年経った今それを取り上げるのもむなしい話ではあるが、「国語とは要するにセンスであり、才能」という結論に対しいうべき言葉を持てない無力感、それを専門としている人が言えない、救ってやることができないということ、そしてその問題がよりによって日本文学の誇るべき作品上で起こっている(いた)というのは非常にまずい事態だったのではないかと個人的に思う。



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