菜根譚134、反対に振れるということ(勉強をした呂蒙の話)






 「みだらな女性は事態を顧みることなく尼となり、物事に熱中する男は激高して仏道に入る。
 本来清らかであるはずの仏門が常に淫邪の場となっているのはこのような事情によるのである」


 ・まあ昔の文章なので、あまりにも細かいことに言及しようとは思いませんが……。
 私も熱中しやすい人間なので、熱中からの激高という流れはよくわかります。熱中しやすい人間は極端に振れやすい。ああ、もう駄目だ! とか思いやすいし、ヤケを起こしやすい。最悪の結果に事態が推移すると思い込みやすい。こうなるともう仏門に入るしかないと。
 最後の一文は示唆に富んでいるといえるでしょう。「清らかさを掲げている仏門がその真逆なものの集まりとなっている」と。言いたいことはわかりますが、でも人生でいろいろな経験をしてその結果として清らかさを求めるがためにそうなるという流れは重要だと思います。真逆な生き方をしてきたがために、その価値がわかるようになるということは。


 ・呂蒙が孫権によって勉強を勧められ、魯粛によって「もはや呉下の阿蒙に非ず」と評されたことは有名です。それまで武一辺倒だった呂蒙が勉強しろと言われ、いまさら勉強などと答えたわけですが、ところが学者顔負けのとんでもない勉強をして今度は智の武将となったと。


 荊州で対峙する相手は関羽であり、魏は曹仁でした。
 関羽は様々な手を駆使して北荊州を攻め立て、曹仁はそのために窮地に追い込まれました。直接攻めても強い上に、様々な工作活動をして曹仁を追い詰めた。
 曹操もこれはまずいと。魏の遷都を考えるほどになったわけです。それほどまでに関羽はすごかった。
 ここで元々の呂蒙であれば、正面から攻め立てるだけの武将ということになるでしょう。つまり、正面から攻め立てるだけ、ということであれば関羽の方が余程巧みでありすごかったかもしれません。しかし智も身につけた呂蒙は表面では関羽にへりくだりつつ、その実調略させていき、関羽の配下を次々と呉の味方とすることに成功していたわけです。ただ単に攻めるだけではなくなっていた。そうしてみると、関羽は意外と味方内でも孤立していたことが明らかとなり、意外なほど効果が出てきたわけです。これはただ単に正面から攻めていたのではこうはならなかった。
 そうして最終的には関羽を捕縛し、斬首する流れになるわけですが。武と武であれば、そして正面から組み合うだけであれば関羽の方が一枚上手だったとみても間違いない。でも呂蒙はその関羽の背後を衝いた。そして武と武だけではなく、智と智という面でも戦いをすると。つまりこうして事態というのをより平面的に、立体的にと違う様相で捉えていったわけです。そうしてみると呂蒙は関羽を負かせることができることがわかった。


 ・これというのはすごいことではないでしょうか。
 関羽がいかに名将であったかというのは確かにあるわけですが。何しろ益州と荊州しかない劉備勢力が、中華の2/3を収める曹操を驚かし遷都まで考えさせる。そんなことが可能なのかと。赤壁でも曹操を大敗はさせはしましたが、ここまで弱気にするものではなかったわけです。ところがその関羽を追い詰め負かせたのが呂蒙です。


 武と武、正面からの戦いであり、話を一次的に考えるならば、恐らく呂蒙も分が悪かったでしょう。
 ところが背後を衝くとか戦いに智を入れることによって話をより立体的に考える方向性を考えていたこと。そしてそれを先にどこまで見出していたかは不明ですが、呂蒙に勉強を勧めた孫権の先見の明がいかにすごいものであったかということです。「呂蒙が関羽を負かした」というと話はそれだけですが、いかにこの話に厚みがあるかを考えさせられるなと思います。






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