菜根譚130、禍福は糾える縄の如し(荊州でもめた蜀と呉)






 「子どもが生まれる時母は命危うく、銭差しにお金を貯め込めば盗っ人がそれを窺う。どのような喜びも憂いにならないことがあるだろうか。
 貧しさに遭えば金を節約するようになり、病に遭っては養生するようになる。どんな憂いでも喜びにならないものがあるだろうか。
 だからこそ達人と言われる人は、順境も逆境も同じものとみなして喜びも悲しみも忘れ去るのである」


 ・「禍福は糾える縄の如し」といいますが。そういう感じが濃厚にします。
 子どもが産まれるという喜び事であってもそれは母体が危険にさらされるという意味で最大の悲劇に繋がることがある。
 病気で身体を病むことがあっても、それによって身体を大切にするような習慣ができれば長い目で見ればプラスになります。
 ものすごいプラスとものすごいマイナス、小さいプラスと小さいマイナスが相互にセットとなりあるいはすぐにでも表裏の関係となりそうな形で並んでいる。それを「糾える縄の如し」とは昔の人はうまいこと言ったものだと思います。


 ・天下三分の計を言ったのは諸葛亮というのが定説ですが、魯粛も呉で孫権にこの計を説いていたそうです。まあ同盟関係ですし、そういう互いの共通理解がなければそうなかなかうまくいくものでもありません。考えてみれば、孫権にそれを説く人間が必要だったということになるでしょう。
 しかしこうして同盟関係にある相手を大きくするということは一面に危うさを持っているとも言えます。事実、それは魯粛死後のことだったわけですが、関羽のことでもめ、そうして劉備が怒って蜀の全軍をもって呉に攻め込んでくるという流れになります。見事それを撃退したのは陸遜でしたが、せっかく育ててきた呉と蜀との関係を崩し、そして頼れる味方たるべき蜀を異常に弱体化させる結果をもたらしたわけです。こうしてみていくと、敵であるならば単純に戦っていればいいわけですが、事情が味方となるとそう簡単にはいかなくなる。非常に厄介でいつも困難となるのはむしろ味方との関係の問題だとすらいえるほどです。貸し与えた荊州にいつまでも居座り続け、それを渋った上に無礼な態度を取り、取り返さんと怒って全軍で攻めてくる。これではまるで空き巣が怒って強盗にやってくるのと同じです。問題がそのように見えてくるというのは、親しい相手であり仲良くやっていかなくてはならないことがわかっていれば尚更痛感されてくることでしょう。


 蜀と魏との戦いというのは「正義」というのをもってみれば相手が悪いようにしか見えないでしょうが。ところが味方関係はそうはいかない。蜀と呉との関係の危うさであり複雑さはその比ではないわけです。いつまでも荊州に居直り続け、返そうともしない態度にしびれを切らして戦いが始まった、これは明らかに失敗であり、諸葛亮の見通しの甘さを物語っていると言えるでしょう。プラスをプラスとして享受するのも、あるいはマイナスをプラスに変えるというのもそれなりのコツがいる。諸葛亮の作戦はその大いなるプラスをもって大いなるマイナスと変えてしまった。この難しさというものに思いを馳せる必要性を感じます。







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