菜根譚122、僥倖と災い(玉璽を拾った孫堅)






 「意思が偶然一致する場所、そこですなわち佳境ができ、天然のものであればあるだけ真実が見られる。少しでも人工的なものがこれに混じると途端に興は削がれることになる。
 白楽天は言う、『意味とは無事であることに従って適い、風は自然であるからこそ清い』と。なんと味のある言葉であるか、それはこのことを言うのであろう」


 ・偶然に一致することが重要であり意味があるが、これが人の手によるものだと全然おもしろくないと。
 そして風が自然と吹いてくるから清いと言っています。
 とはいえ、例えば暑い時にうちわで仰げば、それが人工物だろうと自然物だろうとやはり涼しく感じるような気もします。
 それに「手当」ということもあります。例えば腹痛があったとして、他人の手でさすられると痛みが幾分か和らぐような気持になります。こうなるとたまたま人の手がそこに当たるのに比べて全然痛みの和らぎ具合は違ってくる。それは明らかに人工のものですし、意図もあれば全然自然のものではないわけですが、でもその効果たるや抜群です。
 うちわの例に戻りますが、それに効果さえあれば自然のものであれ、人工のものであれ良い、というようなこともまあ一応言えるのではないでしょうか。まあ、中国だと自然のものがいいということで興を見出す傾向が強い気がしますね。「天からの恵み」みたいに偶然のものについてありがたく考える傾向が大分強い気がします。


 ・孫堅が洛陽の井戸から(あるいは井戸以外から)玉璽を手に入れて「これは孫堅に皇帝になれという天からの啓示」みたいに考える話は、いろいろと形は違えど基本的に一致しているように思います。そこに虎牢関にしろ洛陽での戦いにしろ、他の諸侯に見放されたり援助がなかったりしつつも、死傷者を大量にだしつつもがんばった孫堅への天からのご褒美みたいに見えるくだりですが。孫堅が帝位につけるということで手下は頑張りますが、しかし諸侯は気持ちよくありません。玉璽を手に入れた話はあっさりと諸侯の間に伝わり、反董卓連合のはずが、今度は孫堅を殺そうと諸侯は一致団結します。
 こうして追手に次ぐ追手から逃れた孫堅でしたが、最終的に劉表の手下である黄祖に襲われて命を落とします。これだけ見ると、玉璽が果たして孫堅を帝位につけという天からの啓示でありご褒美という説は極めて怪しく、それどころか命まで落とすという不幸の始まりでしかありません。ただそれをありがたく思ったというところに重要性があるのではないでしょうか。


 「三国志three kingdoms」では曹操らが孫堅に「それは僥倖ではなく不幸の始まりだと思うぞ。早々に手放すが良い」と諭すシーンがありますが、恐らくそれをそのように不幸の始まりだとみなす方が珍しいのではないかと思います。





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