菜根譚121、死せる孔明生ける仲達を走らす






 「樹木は枯れ果てて、根しか残らなくなって初めて枝葉は虚栄だったと知る。
 人も死んで棺桶に入れられてようやく、子女や玉が無意味なものだったことを知る」


 ・解説がおもしろいので紹介します。
 「棺を覆いて事定まる」という言葉があるが、これは「死んで棺桶に入れられて初めてその人の評価や業績が定まる」という意味だそうです。
 ここではそれを念頭に置きつつ、「死んで初めてそれまで価値あると思っていたものが無意味だったと悟る」という方向へと話を持って行っていると。
 従来の意味を含ませつつも、「でも死んだらおしまいだよね」という方向性を持たせている。ここがおもしろいところですね。


 ・「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉があります。
 蜀軍と魏軍とがずっとにらみ合いを続けていましたが、諸葛亮が死んだと聞いて、司馬懿は諸葛亮を失った蜀など一気に潰してしまおうと考えます。ところが蜀軍は奇妙な動きを見せ、話によっては諸葛亮の人形を用意していたという話もあります。
 これでああしまった、これは諸葛亮による自分を誘い出すための罠だったのかと思い、司馬懿は退却をすることになります。
 ところが後でよくよく聞いてみると、諸葛亮の人形は動かず(それはまあ人形ですから)、やはり諸葛亮は死んでいたんだなと。


 諸葛亮は死んでからもなお生きているこの司馬懿を驚かせ、敗走させやがる。
 本物は死んでからでさえやはり本物であると。
 言葉の意味としては「生前の遺功が人を動かす」というような意味ですが、諸葛亮の場合は死んでからも生きている司馬懿を驚かせ敗走させた。驚くほど的確な読みであり、そして簡単にそれに動かされ転がされる司馬懿の浅さを自嘲していると思っていいでしょう。生きている者でさえ、他者を動かすことは難しいのに、諸葛亮は死してなおそれをこうも簡単にやってのけた。
 それを思えば、諸葛亮は本物か、司馬懿はどうなのだろうかと思えば、諸葛亮はいかにも胡散臭いところが多く、そして司馬懿は的確に様々な手を打っていますから司馬懿の方が余程すごそうに見えますが、しかし少なくとも司馬懿の中では諸葛亮ほどすごい人物はいなかったのではないかと。


 街亭でこけたり、李厳が食糧調達を怠って退却したり、孟達は反乱をおこしてもあっさり鎮圧されたりと諸葛亮には不運が続きますが、だからといって司馬懿の方では意外と「諸葛亮は大したことない」とは思っていなかったのでしょう。まさに「英雄は英雄を知る」であり、そして運と実力がある中で、司馬懿の方では諸葛亮はただ者ではないと思っていたと。このことは重要なことではないかと思います。







この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村