菜根譚116、金が好きということ(伯嚭や楊松)






 「多く持つ者はより多く失う。だからこそ、貧しい者はそうした余計な心配をしなくて済むのだが、富む者はそれに劣るのであるといえる。
 足を高くして歩く者はつまづくことも速い。だからこそ、身分が高い者は身分の低い卑しい者がその心配をしないで安らかにしているのには及ばないのである」


 ・言いたいことはわかりますが気になるところがあるのも確かです。
 持っていれば危ういのは確かですが、持たなくてもそれは自分の安全を守る力がないがために危ういわけですから。
 こうなると、「持ちすぎると倒れるし持たなすぎても危うい。こりゃ要するに中庸の精神が大切だ」と行きたくなるのも確かですが。でもこの文章を読む限りでは中庸が大切ということは一切言っていないのも確かです。中庸は結論として便利ですが、別にそれが便利であろうと結論には関係ないと。なので中庸という結論の方向は避けたいと思います。


 ・金がなくなれば欲しいと思い、金があれば失うことを恐れるようになる。
 単純に金が好きだから、というのでは説明できないほど人は金に執着します。むしろ好きでない方が余程金に執着するようになるのではないかとすら思います。
 これが確かだというのは、歴史の各所で出てくる賄賂で動く人によって測られるように思います。
 越王勾践は呉王夫差によって追い詰められますが、この時利用したのが伯嚭(はくひ)という男でした。夫差の側近にいるこの男を利用すれば命乞いは成功するかもしれん。そう思った勾践は莫大な量の品々を伯嚭に送ります。伯嚭は命乞いを受け入れるように夫差に勧め、これによって勾践は助かります。越は力をつけ、夫差の呉を背後から襲います。そしてとうとう呉を滅ぼしてしまいます。この最後で全く同じことが起こります。夫差は勾践に命乞いをするのですが、勾践は受け入れようとしますが范蠡(はんれい)はこれを却下するよう勧めます。「天のもたらすものを受け入れる者は幸を手に入れ、そうでない者は害を手に入れる」そういって勾践に命乞いを受けいれないように言います。これに従った勾践ですが、自分がかつて命乞いを受け入れてくれたことを思い、殺すのではなく島流しを決定します。しかし夫差はそこまでして生きようとは思わないと思い、自害することになります。


 ・張魯の配下に楊松(ようしょう)という者がいました。この男も金に目がない男で、張魯の下で働いていた馬超を讒言したり、そもそも漢中の城門を開くことをしたりと大活躍します。その結果張魯は曹操によってあっさりと滅ぼされますが、張魯は降伏に際して漢中を荒廃させたりしなかったという理由で重用されます。しかし楊松は曹操に斬首されます。


 この手の伯嚭だったり楊松だったりという金が大好きなキャラは歴史のどこを切り取っても出てきます。そして敵側に有利なように話を進めていき味方側に大穴を空けるキャラとして出てくるわけですが。でも言うほど金があって何かいいことはあったのでしょうか。現代ほど文明が発達しているわけでもないし、スマホもなければ金があって何かを買えるわけでもない。例えば海の幸、魚が食べられるといっても今ほど保存技術が発達もしていなかったでしょうし。まして交通網は発達していなかったわけです。こうしていくと金があったところでできることなど高が知れているし、手に入れられるものもそこまでのものではないなと。まあそれが傷みかけのものであっても、うまいものはうまかったかもしれませんが。その利用価値を抜かして、ただ金があれば大満足、金目のものが大好きという場合もあるのかもしれませんが。少しそれは異常で考えにくいのかなと。


 それよりは、まあ武具などは買えたでしょうし兵糧などもいいものを買えたりということはあったでしょうからそういう方面の方が期待できるのかなと。つまりは目先の問題があって、それに対して融通が利く。より良い選択肢を選べる。そういう意味での金の便利さというのはあるのかなと思います。
 金が大すき、金目のものがというそこで目的を完結させたものよりは、どんな問題が来てもとりあえず金があれば対処できるという融通であり便利の良さ。そこから見えてくるのは、まあ堅実だなという印象ですね。言ってみればどんな球(問題)がきても打ち返せるようにもっていける、それが金でありその金の性質を利用しているわけですから。そういう意味での、金が大好きで滅んだというそれ自体を目的化させることよりは、その便利なものの性質を崇めすぎたがゆえに滅んだという方がしっくりくるような印象です。
 個人的にはそう思いましたが、まあ実際のところはわかりません(笑)









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