菜根譚106、人に任せるか完璧主義か(劉秀の場合)






 「目の前にくること全てについて十分に満足するということを知る者は仙人の境地に至れるが、それを知らない者は凡人の境地のままである。
 世の中で人の上に立つ者全て、人をよく用いる者は人を活かす働きをする(生機)が、人をうまく用いることができない者は人を損なう結果となる(殺機)」


 ・テキトーですべて人に仕事をポイポイと任せるのになぜかうまく回る人というのがいます。あるいは逆に几帳面ですべてがちがちでやるのにうまく回ってない人というのがいます。この差ってなんだろうなあと思うのですが、その機微について説明している箇所だと言えるでしょう。
 単純に言えば前者は劉邦や曹操ですが、後者は袁紹や諸葛亮でしょう。
 人を用いる以上は疑わないし、信じる。信じて仕事を任せるわけですがその分の責任やリスクをきちんと背負うという意識もあるわけです。しかし後者はそうではない。人を信じないしリスクを背負うことがない。内容としては大きく異なりますが、それでも人に任せることによるリスクを背負いたくない気持ちが人に任せられないわけです。こうして袁紹は滅びましたし、諸葛亮も早く死ぬこととなりました。


 この矛盾していると思える二つを同時に行えたのが光武帝である劉秀でしょう。
 王位であっても自ら敵に攻め込む役を厭わなかったのが劉秀ですし、そして負けなかったのがこの劉秀でもあります。昆陽の戦い(こんようのたたかい)というのが劉秀の代表的な戦いだと言えるでしょうが、wikipediaでも1万の兵をもって43万の兵を破ると書かれています。いろいろ誇張はあるでしょうが、それにしても劣勢でもって大軍に挑む、そして勝てるというその英断、確信、こうと決めたら突き進む姿勢というのは非凡なものを感じさせます。
 普通こういう人は細かいことであっても自分でやりたがりな感じのところを多く見せるものです。あまりに完璧主義であり、それがまたうまくいくものだから任せられなくなる。そして人の結果に不満であるので結局は自分でやるようになる、となりがちですが劉秀はそこがまた違った。人に任せられるということができました。
 雲台二十八将といいますが、劉秀の下で活躍した将軍28人がこうして後世に称えられることとなります。これこそが劉秀一人でなく他の将軍たちも活躍した、活躍することができた証拠だと言えるでしょう。劉秀がいかに非凡であったかについてはいろいろいわれるところですが、優れた人がついやりがちな自分で全部やるというのに偏ることなく、頑なにならず、臨機応変に他の人にもきちんと任せることができた。これというのはかなり難しく非凡だと言えると思います。曹操が手本にしたのがこの光武帝だと言われています。


 「一将功成りて万骨枯る」といいますが、劉秀のように自分が活躍しながらも他の人もきちんと功績がある、全員が活躍しながらもかといってみんなを輝かせることでなあなあな形でグダグダにならないというのは非常に難しい。皇帝一強で他が引き立て役になるでもなく、みんなを輝かせてかえって誰も輝くことがないというのでもない。そういう非常に難しい境地を成り立たせているという意味では歴史上劉秀の例以外にいい例がないといってもいいほどではないでしょうか。












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