菜根譚105、大敗(曹操が赤壁で大敗した話)






 「これを減らしてまた減らし、花を植え竹を植え、全く烏有先生(うゆうせんせい)の境地に至る。
 忘れるべきでないことをも忘れ、香を焚き茗(めい)を煮ては茶を作り、白衣の童子について問うこともない


 ・烏有先生とありますが、解説によると「いずくんぞあらんや」に漢字をあてると「烏んぞ有らんや」となると。「どうして~があるだろうか、いや全くない」的な反語表現というヤツですね。で、こればっかり言ったりやったりしてる様を「先生」を付けて擬人化してるだけという話のようです。次々と物を減らしていく様を滑稽に見ているということですね。
 白衣の童子については陶淵明という詩人にちなんだ表現であると。その詩に「白衣の童子を遣わせて酒を贈らせた」とあることを念頭に置いた表現であるということのようです。
 ですからこれをまとめていくと、物をどんどん減らしていく境地がいいのだと。そして楽しみである酒、これを時々送ってくれるヤツがいるということもそういう楽しみがあることも忘れた方がいいのだと。そのくらい何もかも忘れた境地というのが理想的である、ということを言っている段だといえます。


 ・考えてみれば「ないことがいい」、ということをこうも主張するということは珍しいことだといえます。今だけでなく古代だってあることがいいという流れが当然あったわけですから。武芸は秀でていた方がいいし、智謀には優れていた方がいい。ないほうがいいからこその背水の陣だってもしもの時の備えがなくてはならない。空城の計は空っぽですが、それだって備えあっての見せかけの空城です。世の中の価値観はすべてある方がいいという前提があるわけですし、そしてそれは当然のことですし、その真逆であるない方がいいという価値観はかなり珍しいと言わざるを得ない。際立って変わっていると言っていいでしょう。
 いわゆる「中庸」だってほどほどにという前提はくっついているわけですから、それを思えばここまで徹底的になくすのを良しとするというのは。


 ・しかし考えようによってはあることを突き詰めていけばないことに出てきて、ないことを突き詰めていけばあることに出てくるというのは至極もっともなことかもしれません。ものがありすぎる、選択肢があり過ぎるというのは一概にはいいことだとは言えない。というのはとっさに使えるとか使いこなせるということが重要なのであって、あまりにも多い選択肢を人に強いることは人をパンクさせる可能性があるわけです。
 「どれがいい?」といわれた時に1桁、2桁、3桁と選択肢が増大していくというのは自由度は高いでしょうが、だからといって満足度を必ずしも最高まで高めるものだとは言い難い。逆に桁数を減らしていけば、自由度はそれに比して減りはしますが必ずしも満足度がそれに伴って急落するとは言い難い。自由度と満足度というのは必ずしも一致するものではない。それでも慣れた選択肢とか、限られた選択肢を使いこなすということがあれば満足度はある程度は確保されるわけです。慣れとか熟練というのは結果であり満足度をある程度保つのに必要な要素です。


 ・赤壁を攻略する前の曹操にとって水軍の重要性はよく把握されていたでしょうが、しかし問題は曹操の陣営に水軍に熟達した者が全くいないということでした。長江を下って戦いをすることになるのに、水軍がいない。敵地でさらに不利な戦いをすることになるのに適任の者が全くいないということは悩みの種でした。
 この兵力以外圧倒的に不利な状況を打開することは難しい。打開するとなるとどうしても水軍が必要になるわけです。となると、脅迫してそれに屈して孫権が降参してくれればそれは最善です。事実孫権陣営は戦争派と降伏派で大きく分かれていました。つまりこれはこれでかなり有効な手だったわけです。まあ最終的には戦争派でまとまることになりますが。


 そうなると、曹操としては船を急造して戦に備えることになりますが、幸い劉琮(りゅうそう)の配下に水軍に熟達した蔡瑁(さいぼう)がおり、彼に水軍を一任します。ところが周瑜の計略に引っかかって彼を処刑します。ここに孫権側の本音を見出すことができるでしょう。曹操側にとって不利な海戦に不利なまま引き込めれば勝機を見出せる。それを思えば蔡瑁の処刑というのはあまりにも孫権側の思惑を露骨に表していると思える事態だったといえます。
 こうして蔡瑁を処刑したり、船酔いがひどいので船同士を鎖で繋いだりしているうちに赤壁の戦いは始まりましたが、いかにも急造といった感は否めません。そうこうしているうちに火計で曹操船団はあっさりと火に包まれ、曹操は大敗します。


 なぜ曹操は赤壁で大敗したか。これについては様々な見方ができるでしょうが。
 中華の2/3を支配するだけの勢力がある。資金もあれば十分すぎるだけの兵力もいる。しかし水軍がなかったし、水軍経験者があまりにも少ない上に処刑してしまった。(金や兵が)あることが問題なのか、(水軍についての熟練が)ないことが問題なのかといえばこの両方の悪いところが一気に出たのがこの赤壁の戦いだと言えるのではないかと思います。金も兵力も十分あった、だから大船団を作った。ところが水軍を扱うことについては壊滅的に人がいなかったわけです。
 水軍についてはよくわからんけどとりあえず作れるから大船団を作ったわけですし、よくわからなくてもそれがあった方がいいという判断はあった。でもそれがあったところで必ず使いこなせるというわけではない。十分に使いこなせないものを多く持ってしまったということが大敗のきっかけを作ったといえないでしょうか。よくわからんところによくわからんなりに戦力を傾注する。これが大敗をもたらす一つの要素だと言えるでしょう。
 よくわからんなら放置する。
 よくわかるところに戦力を集中する。
 これだけやっていれば負けはしても曹操なら大敗はしなかったはずです。ところが曹操は恐らくは中華統一を焦るあまりに孫権を叩かなくてはならないと思い込んでしまっていた。


 こうして曹操は赤壁で大敗をしたわけですけども、今の人も下手に余力があるがために負けるとか、余力がないのに手を出すとかいう形で大敗するパターンというのはあるように思います。曹操の赤壁の大敗からはそこらへんについて学べるのではないかと思います。






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