「消えかかった灯火、ボロ着で温かみがないというのは、その目に見えている世界観を明らかにしているのである。
身体は枯れ木の如く、心は死に絶えた灰のようになっているのでは、頑迷さに堕落することを免れることはできない」
・灯火は薄暗くても当たり前、着物はボロでいい……というのはその世界観を己の身によって明らかにしていると。見えている世界がそうだから、それは当然となっているのだと言っています。それは世界がそうだけど我慢ということではない、世界がそうであるのだからそれが当たり前ということです。見えている世界観が己の身に投影されているわけですね。
そうなると己のことで精一杯となる、その頑迷さであり頑なさによって他者や他のことはもう目に入らない。それらを気にかけたり受け入れたりする余地はもう残っていない。こうしてその見えている方向へとひたすらに突き進んでいく。その他のことを気にかける余裕などないわけですからこれはもう免れようがない。
恐らくはこういう頑なさというものの恐ろしさを戒めている段だと言えると思います。柔軟さであり、余裕があってその他のことを気にかけられるだけの余地があればそうはならない。まあそちらにだけ突き進めばいいというものでもないわけですが。そちらにだけ、となると余裕があって気が散って一向に掘り下げることができないことになる。集中を欠く事態に陥る。かといって集中ばかりしていては余裕がなくなる。それは集中を通り越した頑なさに陥ることになる。恐らく大多数の人にとってはこの余裕と集中とを程よく兼ね備えた境地にいるし、それがいいと言っているものだと思います。ただどちらかに偏ると非常にまずいことになると。特にこの頑なさに陥るということになるともう自分から袋小路に追い詰められたようなものですし、あまりの行き場のなさにもはや安住しているかのような心地になるものですから、これはまずいと。
・ではそんな人がいるのかと言われればいました。黄忠(こうちゅう)という武将ですね。蜀漢の劉備に仕えていました。60を越えても最前線に立ち、魏の夏侯淵などを斬ったことでも有名です。武勇に関しては本物だというしかない。
この人ですが、任用される際に「いや……しかし老将軍(黄忠のことですね)には荷が重いかと。もっと若い将軍に任せては」と一言付け加えられるのが恒例でした。諸葛亮などは狙ってやっていたわけですが、これではっぱをかけるのが狙いだったし実際黄忠は期待以上によくこの期待に応えていたわけです。
ところが黄忠も最晩年になると、若い者を褒められるだけで自分がけなされて用済みとなったかのような心地になります。心がひねくれた、ねじけたといってもいいかもしれません。そこで呉の陣営に少数で奇襲をかけ、大戦果を挙げようと試みます。ところが失敗し、矢を多数浴びてその傷が元で死ぬこととなります。こういう境地に黄忠を追い込んだのは諸葛亮や劉備といった上に立つ人々があまりにそれによる結果を期待しすぎたというのが大きいでしょう。これによって歯止めが効かなくなったというのがあります。
そして黄忠は蜀の「五虎将軍」のひとりに選ばれます。ところが最期がこれではあまりに格好がつかないというか、お粗末なものを感じさせます。事実、いくら虎が強くても人が集団で囲んで弓で射かければなすすべがない。魏の猛将夏侯淵を一騎打ちで斬ったといっても、名もない雑兵に囲まれて射かけられてはどうしようもない。恐らくは「我は五虎将軍である」という自負が強かったのも仇となったのでしょう。
さらには黄忠は失敗が本当に少なかった。任される仕事を全て完璧にこなしてきた経緯があります。それは「若いものには負けぬ」という意気込みがあったのが確かですが、だからこそ用意周到に進めてきたその用心深さが幸いしたと言っていい。ところが「用心深さが功を奏して成功させた」ではなく「オレはすごいから失敗してこなかった」では本末転倒です。そのすごさを追求する方向性で、数十の手勢で数千の敵に何ら考えもなく突っ込むというのではどうしようもありません。最期の最期で、意外とオレはすごくなかったんだなあということを痛感したに違いありません。
しかし最期にそれを悟ってももはや遅かった。
こうした人物起用法のまずさ、そしてその褒めどころけなしどころを間違えた対応が大きく黄忠の、さらには蜀漢の仇となっているというのはありますし、最終的に黄忠をつまらないところで失う結果を招いたものと考えられるでしょう。ここから言えることは、案外そういう境地に人を追い込むことは普通にやってしまうものだし、そうして黄忠という名将を蜀は夷陵の戦いの前で既に失っていたということです。別に夷陵で大敗するのを待つまでもなく、名将をこんなつまらない形で失っている蜀漢では既に滅亡は始まっていたといえる。これこそが蜀の未来に明確な暗雲を投げかけていると言える場面、そういう印象的な場面がこの黄忠の死ではなかったでしょうか。
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