菜根譚102、泡影(ほぼ唯一といっていい教科書に出てくる陳羣の事績について)






 「山河や大地も微塵に小さい側に属している。まして微塵の中の微塵などというものは言うまでもない。
 人というものの血肉や身体といったものも泡や影といったものに消えていく。そうであるのに、影の外の影などというものは言うまでもない。
 最上の智でなくてはこのことを言い尽くすことはできないだろう」


 ・解説によれば山河や大地も宇宙から見れば小さいものだと。まして人などは言うまでもない。「影の外の影」は地位や名誉のことを表しており、人でさえはかないのにそうした地位や名誉の価値というのは言うまでもなくはかないものだということが書いてあります。そしてこのことは最上の知恵でなくては語り尽くすことはできないのだと。
 まあ個人的にははかないものかもしれないけど、だから人生は無意味だと進むよりはだからできる限り好き勝手生きた方が健康的だと思うんですけどね。少なくとも無意味だからと世をはかなんで死ぬよりは余程いい生き方だと思っています。


 ・古代から現代に向けて歴史は進んでいきますが、そうなると当然様々なことが起きては消えていきます。晋という国が中華の中心にあったかと思えば韓・魏・趙に分裂するし、分裂したかと思えば秦によって統一される。かと思えば15年で滅び前漢が起こる。前漢は腐敗し新となり、その後再度統一され後漢が始まる……曹操が天下統一まであと一歩のところまできますが司馬一族によって乗っ取られ、天下統一を果たしたのは晋だった。英雄や豪傑が次々に出ては消え、消えては出てしているのがよくわかります。しかしこれも教科書で見ると一瞬で(1ページ程度で)流される内容ですけどね。
 その中で唯一暗記せねばならないものが九品官人法でしょうか。これを作ったのが陳羣(ちんぐん)ですね。陳羣自体は暗記項目としては出てきませんが。


 ・もともとは劉備配下として出てくるのが一番最初のように思われます。もともとこの陳氏というのは結構な豪族のようで、先日も出ましたが名士というのが各地で大きな勢力を持っていました。そして襄陽などで司馬徽(しばき)が名士グループを率いているように、陳氏も名士グループを作っていたようです。
 そしてそのグループの優秀なものとしてこの陳羣が劉備の配下となっていたようです。ところが劉備陣営には劉備陣営の問題があって、劉備・関羽・張飛といった桃園三兄弟を中心として成り立つこのグループは非常に身内びいきが強かった。非常に強い結束で成り立っていたわけですが、それは裏を返せばよそ者には冷たいと。この三人は武勇で鳴らしていたので、その他となると陳羣などは名士グループの有力株だったかもしれませんが、だから何? って感じです。


 陳羣は劉備に献策をします。徐州は劉備のものになったかもしれませんが決していい土地ではありませんと。西に曹操、南には孫策や袁術がおり近所には呂布がいる。みんなこの地を狙っています。領主をやめて、この地以外の土地に移った方がいいのではないでしょうかと。
 これに一同は激高します。桃園の誓いから10年前後、苦労して各地を転戦しようやく得たのがこの徐州だというのに、こいつ何言ってんだ?
 せっかく劉備兄貴が人々から君主として認められて土地を得ることができたんじゃねえか。何をはばかることがあるか。どうもそういう感じだったようです(笑)
 陳羣は頭が良く優秀だったのは間違いないですが、得てしてそういう人は空気が読めない発言をしてしまうものです。ましてこの劉備を筆頭とする劉備グループでは、おめでとうございます! という空気こそあったかもしれませんが、この地の領主は危なすぎてやめた方がいい、なんて発言は空気読めないにも程があったと考えていいでしょう。当然劉備もこの発言を却下します。劉備からしたら何言ってやがるだったでしょうが、陳羣からしてもこんな素晴らしい検索を取り入れられないとはという思いが色濃くありました。


 その後は歴史が証明しています。
 陳羣の予想通り、袁術がやってくるし(曹操の差し金です)、呂布は空き巣狙いをするし、孫策は急激に江東で勢力を伸ばし、「小覇王(覇王は項羽のこと)」とまで呼ばれます。ところが袁術は滅びますし、孫策は急死します。そして曹操はこれに乗じて勢力を伸ばしますし、劉備は曹操暗殺計画に加担していたことがバレて襲われ、劉備は華北の袁紹のところへ逃れる以外になくなります。
 確かに念願だった土地は得たかもしれない、でもその土地を保持することにこそ意義があるという意味では陳羣の見識は間違いないものでしたが、劉備一行はそれを聞きいれることはできませんでした。恐らくは華北に逃れる最中あたりで劉備は激しく後悔したのではないでしょうか。ああ、陳羣の言う通りだったと。そう思ったとしても後の祭りです。この後悔が三顧の礼に繋がっているのは恐らく間違いありません。名士すげーと劉備が痛感したのがこの時だったでしょう。


 陳羣の方としては自分の献策を無視してしかも陳羣マジで空気読めないヤツ認定をした劉備一行に愛想を尽かしています。そこへ曹操一行がやってきました。曹操はさすがに人を見る芽があるので陳羣をぜひにと配下に入れようとしました。陳羣もこれを受け入れます。
 そして曹操の次は曹丕ですが、曹丕が死ぬときに後事を託すとして呼ばれた三人がいました。その中の一人がこの陳羣でした。決して曹操の配下になるのが早かったとはいえない陳羣でしたが、曹操に仕えてさらにその子に仕え、とうとう曹操陣営のナンバー3まで上り詰めたのでした。



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