菜根譚101、琴と書物(韓信の抜擢)






 「心に物欲がなければ、これすなわち秋空の下の澄んだ海のようなものである。
 座に琴と書さえあれば修行中の仙人のようなものである」


 ・物欲さえなければといっているのに琴と書って言ってるじゃねーか、というのは恐らくツッコんではいけないところなのでしょう(笑)あくまで琴と書さえ手元にあれば、と。後は何もいらないということであって。そのくらいこの二つは重要アイテムだと言えるし、むしろ必須アイテムだし、とにかくなくてはならないものであると。


 ・書物というのはどこまで必要なんだろうなと。今の我々の普通とかつての普通とは大きく異なっていたように思います。
 例えば、韓信という人は漢で抜擢されて大元帥となったわけですが。その大抜擢を可能にするためには各種兵法書の丸暗記というのはけっこう必須だったのだろうし、有効だったと思います。いくら2000年前のことだとは言え、普通は一兵卒が大元帥となり軍のトップとなるということはあり得ないことです。そうなると各種書物の丸暗記というのはけっこう妥当な話だったのではないかと思います。そもそも「読む」ということだって今では「黙読」が普通ですが、当時は恐らくは「音読」だったわけです。声に出して読むと。そしておそらくは丸暗記が終わればその書物は売るか捨てるかされたに違いない。竹簡を貴重品だからと常に背負って持ち歩く、などということはまず考えられません。
 そうなると、この菜根譚は500年前くらいですが、古代というのは本当に書物すら手元にそうそうなかったのではないかと思われます。あまりに貴重すぎるし、そもそも手元に置いていても朽ちることを心配せねばならなかったと。まあそれこそ竹簡とかの時代のことですから。本が「壊れる」という現象が普通に考えられた。というより壊れることは当然想定に入れていなくてはならなかったでしょうし、だからこそ壊れる前に頭に入れなくてはならなかったともいえるでしょう。


 だからここは難しいところですが、書物は貴重なものですから手元にあれば幸せだったかもしれません。しかし壊れることを常に考えて丸暗記してしまわなくてはならなかった。その結果なくてもいいものになると。こうなると古代と500年前と今とでは大きく異なる結果となるといえるでしょう。古代では壊れるから丸暗記してしまわなくてはならなかった。500年前は当然紙の本がありますから、まあそうそう壊れない。破れたり燃えたりすることはそりゃあるかもしれませんが、書物がそばにあったら幸せだと言える。現代では「破れたら買いなおせばいい」(笑)
 この話というのは、そうした価値観が古代から現代に移ってきているその過渡期というのを示しているといえるものではないでしょうか。






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