菜根譚98、兵法的思考(曹操の兵法思考)






 「歳月というのは元々長いものであるのに、忙しい者というのは自らその長さを短くしようと迫る。
 天地とは元々広いものであるのに、卑しい者は自ら狭めようとする。
 風花雪月は元々間の長いものであるのに、その風流を解することのない者にとっては冗長に感じる」


 ・もともとそれにはそれ自体の性質というのがあるというのに、それをやれ短いだの長いだのと不満や愚痴をつけたがるということなのでしょう。それ自体をそれと見て、味わうことができず、とかくダメ出しをしたがる。合わせることができない。
 そのものをありのままに認識するということについては両者ともあるわけですが、そこからプラスにとるかマイナスにとるかに分かれることになる。プラスにとればそれはいいものであるから味わうことになるし、マイナスにとれば悪いものであるから不満をつけることになると。両者の違いは微々たるものであるわけですが、結局その同程度の差をもってどう出るか。プラスに出るかマイナスに出るかという差になって表れることになると。


 ・突き詰めればそこにあるものをではどう見るか、という話になるわけですが、プラスに見ればプラスに出るしマイナスに見ればマイナスになると。こういうことはよくあるように思います。
 曹操は張繡(ちょうしゅう)との戦いの時に行軍に苦労し、「梅の林」の話を持ち出します。この山の向こうには梅の林があるからそれでのどを潤すと良いと。これを聞いた将兵は喜び勇んで行軍速度を上げたということで、数ある曹操の話の中でもかなり有名な話になると思います。まあ実際には作り話なので梅の林はなかったでしょうし、水場はあるにはあったかもしれませんが、あれ? 梅の林は? という気持ちを諸将に起こさせた可能性はあるかもしれません。そうしたことは伝わっては来ませんが、そこにある危機への対処というのは曹操のいわば本領発揮な分野であり、これが曹操だという紹介になっていると考えられるでしょう。
 明らかに状況は曹操にとってマイナスですが、しかし曹操はこれをプラスに考えます。将兵が渇水しているがゆえに行軍速度を上げられると。渇水している→遅くても仕方ないというマイナスからのマイナスと普通なら考えるところですが、曹操はそう考えない。水がないからこそ
行軍速度は上げることが可能になると考えます。
 こうした思考は曹操の得意分野であり、後の袁紹との戦いでも、明らかに劣勢であるということは袁紹はあまりの優勢ぶりに慢心しているはずだと考えたことが官渡の戦いに繋がっています。劣勢であるがゆえに勝てないのではなく、劣勢であるがゆえに勝てるのだと。極端な話をすれば、曹操にとっては状況は悪くマイナスであるがゆえに勝てるということがいえるでしょう。孫子の兵法でも「虚をもって実を為す」といいます。マイナスであるということが大戦果を呼び込むための呼び水となる。プラスであるということが油断や慢心を誘うこともあれば、マイナスすぎることが気を引き締めさせ一致団結を生むこともあると。これを単純にプラス思考と呼ぶのは、まあ確かにそうなんですが少し大まかすぎるように思います。
 プラスからプラスを、マイナスからマイナスを見ることは至って普通です。一方プラスからマイナスを見、マイナスからプラスを見るというのは兵法的な見方だと言えるのではないでしょうか。それはいわば虚実というものを基準として物事を見ているのであり、実の中に虚を(あまりにも優勢であることが油断を生む)、虚の中に実を(劣勢であることが敵の慢心を誘う)見出すというものであると。そこには単純なプラス思考だけではない、いわばマイナス思考というものも同程度含まれていることがわかります。これこそが単純なイケイケというようなプラス思考ではなく、兵法的な思考に由来するものではないかと思います。


 ただしこれは万能なものであるとは言い難いというのも確かです。
 目の前にある事態に対処する際に実から虚を、虚から実を見出す、つまりは勝機を見出すというのであれば曹操は時間をかけてこの第一人者となっていったというのは確かです。しかしこれが万能なものであるというのであれば、司馬懿による裏切りをどこかで先んじて防ぐことはできたのではないかと。まあ野心だってもともとその芽があったと考えるのはいかにもそれっぽいですが、司馬懿も70を過ぎるくらいになって初めて野心が芽生えた可能性だってあるわけですが。ですからこの問題を指摘することはなかなか難しいわけです。まして曹操は歴史好きでしたから当然劉邦が功臣を粛清したこととかも知っていたでしょうから、ましてそうとわかっていれば司馬懿を粛清していそうなものです。そんな簡単な話ではないと。
 目先の事態に対処する際には有効だったかもしれませんが、そうやって勝ちを拾っていった先で丸ごと一族丸ごと破滅するような、そういうそもそも次元の違う問題には対処しがたい。そういう性質もあるように思います。これは孫臏(そんぴん)が孫臏兵法で大勝を得た後に斉を大きくすり減らす結果を招いたとか、孫武が呉の衰退を招いたとかと似た経緯が見いだされるでしょう。あくまで戦争とか、目先のことに関しては非常に有効ですが、視点を少し変えて、政治とか諸国間の問題といった視点から問題に切り込んでみると意外なほど脆い。これは曹操の破滅と非常に近い性質が見いだされると言えるのではないでしょうか。


 そこらへんについては以前に「孫子の兵法は役に立たない?」で言及したこともありますから、そちらにリンクを貼っておきます。




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