孟嘗君(もうしょうくん)と鶏鳴狗盗(けいめいくとう)について(郭隗、楽毅の流れと併せて見る)






 孟嘗君の話を漢文の授業とかでは単発で取り上げることが多いわけだけど、史記を見ていて思うのは、これはあくまで史記という一連の流れの中で孟嘗君(もうしょうくん)というのを取り上げている。ここに意味があるなと。

 楽毅(がっき)や郭隗(かくかい)なども同時代の人なわけで、話は郭隗から始まることになるのだが、燕の昭王が斉への恨みを晴らそうと思っていた。何かいい方法はありませんかと昭王は尋ねる。そうすると郭隗は「隗より始めよ」という。賢人が欲しい、勇者が欲しいと思うのであればまずはこの自分を厚遇せよと。そうすれば郭隗以上だと思うヤツはこぞってやってくることでしょうと。この郭隗の目論見は見事に当たり、各地から様々な武将が燕に集まることになります。



 ・これというのは、昭王の人材が欲しいという願いであり願望が最初にあり、その答えというものは様々にあるというわけでしょうが、郭隗はそのたくさんの可能性に対して最も適切な解答を出したといえます。最もベストな答えを出したと。そういう意味でのベストな答え集として史記をみた場合に、まずここに郭隗の例があるということになります。問題があり、ではどのような解決がなされるのか。そういう流れがあります。



 ・そうして郭隗のやり方に呼応して燕にやってきたのが楽毅でした。

 楽毅が昭王の願いを叶え、斉を滅亡寸前まで追い詰めます。これというのは郭隗という人のやり方がいかにすごかったかということでもあるでしょうが、それと同時に昭王の願いをピタリと叶えることのできる楽毅という人材のすごさをもの語る物でもあったでしょう。秦以外の5国を同盟させて、その旗印として燕が立つ。こんな縦横家みたいな真似事までできて、さらにはその総司令官まで務め上げることのできる人物が楽毅であったわけで、そんな経験など当然なかったでしょうが、いかにも楽毅は器用な立ち回りをしてその役割を務め上げています。

 かと思えば成り行きが悪くなり、燕から楽毅が追われる身となりますが、楽毅は昌国という最高位に任じられていますが、その地位を惜しげもなく捨てています。楽毅一人で外交官から総司令官、さらには逆境時におけるうまい身の処し方まですべてをこなしているし、理想を体現している。さらには燕の恵文王から逃げたことをなじられると、亡き昭王への忠義を語って見る者を感動させると。これほど見事に一人何役も務め上げて、しかもすべてをそつなくこなせるような人材が他にいただろうか、と思わせるほどの楽毅の見事な身の処し方です。郭隗はその人を燕に呼んだに過ぎないし、あくまでその時点でベストを尽くしただけ。つまりは序章を務め上げただけだと言えます。そして本番では楽毅がすべての役割を見事に務め上げると。そういう流れがありますし、恐らく司馬遷は明らかにそれを意識して史記を書いているのでしょう。
 この問題と、それに対しての問題解決という流れが意識されているということが非常に重要だと思います。
 問題がありました、じゃあどのように対処するのか。
 どのように対処し、その結果がどうなったのか。
 そういうことをひとかたまりのセットとしてみるという見方が重要だと思うわけです。


 ・そして孟嘗君のくだりになります。孟嘗君といえば「鶏鳴狗盗」で有名ですが、史記的な意味での、その流れ的な意味での主役というのは既にみてきた通り、そこにいてその求められる役割をどれだけ見事に果たせるか、ということにあります。郭隗が昭王の願いを叶えられるだけの人材をどれだけ連れてこれるかであり、楽毅がどれだけ斉打倒のための役割を果たせるか。鶏鳴狗盗はあくまでその流れの上に位置しているのだと。

 そうしてみると出てくる主役は一人は泥棒のうまい者であり、もう一人はニワトリの鳴き声がうまい者です。郭隗、楽毅ときていかにもすごそうなヤツが出てくるかと思いきや、まさかの名もない人物です。恐らく史記を読んでいると「え?」となるようなくだりですが、しかし本当の凄みというのは史記的に理解され得るものかと思います。それというのはつまり、そのヤバい状況をいかに孟嘗君は脱することができるのか、ということでしょう。どれだけ知者や勇者がいようとも、孟嘗君が秦によって殺害されれば元も子もありません。いかに孟嘗君を助けるか、その大役を担わされたのがこの孟嘗君の食客3000人のうちの名も伝わらない二人だったわけです。



 ・孟嘗君は秦によって恐れられ、秦は自分のところに仕えさせようとしますが、それと同時に、秦に仕えないならば秦の脅威となるから殺そうということとなります。そこを、秦王に献上した狐白裘(こはくきゅう)を泥棒が盗み出すことで秦王の寵姫に献上し、寵姫の口添えによって屋敷の囲みは解かれ、孟嘗君一行は出発します。

 ここでの唯一の正解は献上した狐白裘を再度手に入れると言う不可能ごとであり、その不可能を可能にしたのが泥棒でした。絶体絶命の一同でしたが、この泥棒によって問題は解決され、一行は逃げ出すことが可能となります。



 これと似た状況は歴史上数多くあったでしょうが、恐らくは大多数のケースが何もできず、なすすべもなくただ処刑を待つのみといった状況で手をこまねいている内に終わったことでしょう。しかし孟嘗君は違ったと。食客3000人の中に泥棒がうまい者がおり、それによって状況を好転することができた。たったこれだけのことがとてつもないインパクトを持っていたに違いない。それこそ当時このことはドラえもんと、その秘密道具ばりのインパクトがあったのではないでしょうか。

 こうして絶対絶命の危機を回避することができた。



 ところがまた行き詰ります。関所で止められるのですが、今度はニワトリの鳴きまねによってニワトリを騙すことで、一番鶏が鳴くと。そうなると規定によって関所は通さないわけにはいかないので、一行を黙って通したということです。これというのも唯一の正解はニワトリを鳴かせることであり、それに見事に食客が成功したというわけです。



 今となっては「鶏鳴狗盗」という言葉に「卑しいことをする人物や、卑しいこと、つまらないこと」みたいな意味がメインとなっているようですが、でも本来は鶏鳴狗盗として独立してみるのではなく、史記的な流れでみると全く意味は違っていたのではないかということをここでは指摘しておきたいところです。

 郭隗や楽毅がそのベストを尽くしたように、この泥棒とニワトリの鳴きまねというのもその場での他に変えられないほどの出来事であり、そのベストが尽くされた。確かにしょーもないことかもしれませんが、そのしょーもないことによってのみ孟嘗君は死なないで済んだ。そしてそれが実現され、それによって死ぬしかない運命の孟嘗君が死なないで済んだ。それどころか秦から見事脱出に成功した。そういう流れを史記的な流れから読み解くということが大切なのではないかと思います。切り取ってみても史記的に読んでも鶏鳴狗盗は鶏鳴狗盗なわけですが、切り取られたことによる誤解と誤読、その史記の狙いというものがうまく伝わっていない節はあるのかなと。それによって鶏鳴狗盗ということそのものが矮小化され伝わっているきらいがあるというように考えています。







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