菜根譚87、猜疑心という安全装置(劉邦と勾践)






 「人から恩を受けてこれが深いものだと言っても報いることなく、恨みを浅いものだと言ってもこれに報いる。
 人の悪を聞けば真偽のほどはよくわからなくても疑うことなく、善ならばよくわからなくても疑ってかかる。
 これは人という者の常であるが、残酷の極みであり、酷薄の最たるものであると言える。これを戒めとしなければならない」


 ・性悪説、というのとは少し違いますが人はとにかく悪い方に悪い方に考えるものであると。これは最悪の場合に自分にかかってくるかもしれない打撃を少しでも和らげよう、少なくしようという心の働きなのかもしれませんが、それにしても身勝手で確かに残酷であり、酷薄であるといえます。これというのは、例えば捨て猫がやってきてああ可哀そうだと心を動かすところによく似ているものかもしれません。確かに危害を加えられそうであれば身構える、それと同様に、少しでもその危険性が去れば心を開くと。心を開かない代わりに、いったん心を開けば安心する、むしろそれは油断と言った方が近いかもしれません。


 ・猜疑心といえば劉邦ですが、それよりもずっと昔にも猜疑心で滅んだ国はありました。
 呉を滅ぼした越ですね。
 越王勾践(こうせん)は、夫差(ふさ)率いる呉を滅ぼしました。そして呉の領土も合わせて一気に強国化し、このまま中央に進出していくのではないかと思われました。
 しかしその段階で、それまで一緒にやってきた范蠡(はんれい)は急に越を去ります。
 そして文種(ぶんしゅ、ぶんしゅうとも)は残りますが、ここで勾践は裏切りを恐れるようになります。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)して20年以上呉に仕えてきた勾践にとって、最低レベルでがんばることは容易いことだったでしょうし、決して難しくはなかったでしょうが、底から這いあがって呉を滅ぼし大国となった後のことはよくわからなかったようです。そして文種の裏切りを恐れ、自決を迫ります。一緒にがんばることはできても、余裕を持った時に一緒にいることはできない。范蠡と文種を失い、越は大きく傾きます。そしてこのまま大国となっていくように見えたはずの越はそこを最盛期として衰退を始めることとなります。傍から見ていると意外なほどに急速に衰退を始め、どうも4代後には大きく傾いているようです。そして200年しないうちに斉や楚によって滅ぼされることとなります。


 ・重要なのは、越という国は最低レベルを背水の陣で戦うことには長けていたということだと思いますが、少し余裕を持ち始めると途端に弱くなってしまうということだと思います。余裕がなければ一致団結してがんばることはできる。そこが最適であると。ところが少し余裕を持つとダメ。超小国としては良くても、小国、中国となることはできない。その素質がないということは断言できると思います。それ以上を目指すには、それなりの度量がいるのだと。
 それを保証するのが猜疑心であり、人を信じない心だと思えるのですが、勾践は少なくともそれ以上を目指せる器ではなかったということはできるでしょう。どこに限界をもってくるか。それ以上をどうやってもってくるかということは重要なことです。劉邦が猜疑心をもったのも、ある意味ではそこを最上辺だとおもったがためのことであり、それ以下にならないため、陥らないためにはある意味必要な警報のようなものだということができるでしょう。韓信を使ってそれ以上を求めるよりは、それ以下に陥らないことを重視してしまった。同様に、勾践もそれ以上などいくらでも望めただろうに、それ以下にならないことばかりを求めるようになってしまった。
 つまりはどこに視点をおくかで、未来は全然変わってくるということができるでしょう。猜疑心を発揮させるには、それなりの理由があるということができるわけです。


 ・勾践は呉を併呑し、さてこれからという時にあっさり限界を迎え、滅んでいくことになります。すごい勢いでこれから伸びていくんだろうなという人々の期待(……が当時もきっとあったろうなと筆者は思っていますが(笑))を大きく裏切って滅びますが、このことというのは決して侮れないように考えています。






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