菜根譚81、高位と衣冠(固執するか捨てられるか)






 「自分が高位にいて他人がそれを崇めるのは、この冠や衣服を崇めるのである。
 自分が卑しくて人がこれを侮るのは、この着物と草履とを卑しむのである。
 そうであれば、もともと私自身を崇めているわけではないのだからどうしてこれに喜ぶことができようか。
 もともと私自身を侮っているわけではないのだから、どうして怒る必要があるだろうか」


 ・この衣服と本人との関係というのは非常に厄介で入り組んでおり、確かに全くの別物だとも言えますが同時にでも全く無関係だとも言い切れないところがあってどちらとも進めるものだからなかなか大変だと。つまり、それだけの実力がある、それこそ実力の証明だと思えばそうだし、この話の通りに全く無関係だと思えばそれも正しい。
 どちらにも好きなように転び得る(転ばし得る)がために、そうではない方に考えるのは難しいし、恐らくそれを無関係と割り切る見方を人はとうとう持ち得ないのではないかと思います。


 ・曹操は自分の殺害計画に関わっていた馬騰(ばとう)を呼び出して殺害することに成功しますが、その後怒り狂った馬騰の息子である馬超(ばちょう)と戦うことになります。
 馬超の勢いはすさまじいものがあり、曹操は命からがらで逃げますが、この時馬超側は「曹操は赤いひたたれを付けているヤツだ」「冠をかぶっているヤツを探せ」と曹操を打ち取ることに本腰を入れています。逃げながらこれを聞いた曹操は、即座にひたたれを捨て、冠も投げ捨て7身一つで本陣に逃げ帰っています。曹操にとっては肝心なのは命であり、利用できるのであれば冠でもひたたれでもなんでも利用してやるといった風であり、利用価値がなくなれば即座に捨てると。重要なのは冠やひたたれがムダではなく、無意味でもないと思っていたことでしょうか。優先順位としてまず命、その後に利用できる冠やひたたれがあり、その機に応じて対応することができた。
 今風に例えて言えば、スーツはやれどこどこのものだ、ネクタイはどこどこで革靴は何々、合わせて合計例えば200万、となると「もったいない」となりそう簡単には捨てられなくなります。つまり、執着してしまう。じゃあそれを現状と照らし合わせて(そんなタイミングは人生でまず訪れないでしょうが(笑))、「命>>>衣服」だと認識し、即座に捨てられるかどうか。
 つまりは決断力があるとも見えるでしょうし、優先順位がはっきりしているとも言えるでしょうし、現状必要なものがよくわかっているともいえるでしょう。


 ・この話を元にして衣服はそこまでいらない……と賢者風にいうのは容易いですが。曹操のように利用価値があり、それを見出し、むしろそっちに引き付けて考えられるということが重要ではないでしょうか。かといって執着しないと。
 具体的には「命 衣服」となった時にここにどういう等号、不等号を入れるか。いやそもそもそこに入れる不等号は常に「>」であるということをどれだけ見出し、考えておけるか。自座という時には捨てようと思えるか。ましてや、固執するあまり機を見逃すというようなことにならないようにする。そういう生き方であり準備とか心構えとかが問われるか。そういうことの方が重要ではないかと思いました。


 呉起にしろ韓信にしろ、若い時から立派な剣を帯びることで「窮乏していても大志は忘れまい」としていましたが、しかしその剣によって二人とも災いを招いていることを思えば、この事の意味というのは意外と大きいのではないかと思います。









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