菜根譚80、恩と威厳の順序(劉邦の法について)






 「恩を施すというのは淡から始まり濃になっていくのが良い。濃が先で淡が後であれば人はそのありがたみを忘れる。
 威厳というのは厳より始まり寛大になっていくのが良い。寛大を先にして厳を後にすると人はその過酷さを恨む」



 ・これというのはまさに秦から漢への移り変わりが分かりやすいですね。
 秦というのは法律が過酷だったことで有名です。あまりに過酷で、なにをしても打ち首となる、そうなれば切られる前に反乱を起こそうとなり、そうして滅んだのが秦です。法治主義は中華統一までは良かったかもしれませんが、統一後は先の見えない過酷さに皆追い詰められていくことになります。


 ・劉邦は楚の懐王によって、項羽と共に秦の都である咸陽(かんよう)を落とすように命じられます。
 そして項羽よりも先に入ることには成功するのですが、ここで劉邦に張良がアドバイスをします。
 秦の民は過酷な法によって疲れ切っている。したがってここは法を優しくしてやるのが良いでしょうと言います。劉邦はそれに従い、たった三条で誰にもわかりやすい法体制を敷きます。これは秦の領民にとっては大変嬉しかったことのようで、皆歓喜して喜びました。


 ・しかしこれはあくまであまりにも過酷な法律に誰もが苦しんでいたがためにこういう推移となったわけであり、「法というのは軽くしたら誰もが喜ぶのだ」というようなものではありませんし、そう解釈するべきものではないと言えます。例えば「人を殺したら斬罪」などという者は至極当たり前のことであり、そう決まったからと言って歓喜するようなものではないためです。問題はその後適度に法があることであり、法を全廃すれば皆さらに歓喜するというのは誤りです。人を殺しても物を盗んでも無罪というものを人は望んでいるわけではないということが重要です。

 その意味での、劉邦の法三条が四つになり、五条に十条になっていったとして、人々から怨嗟の声が上がった、または上がるという見通しは誤りではないかと思います。それは問題の本質を決してとらえてはいないものだと思うためです。


 他に書くこともないので、ここで終わります(笑)





この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村