菜根譚77、一輪の花(始皇帝と諸葛亮、そして王翦と魏延の話)






 「人を信じる者は、相手を必ずしもすべて信じているわけではないが、自分だけは真であると言える。
 人を疑う者は、相手が必ずしも既に偽っているわけではなくても、自分は先に疑っているものである」


 ・相手がどうであるか云々は放っておいても、先に自分がどうであるかを決めていると。ある意味頭でっかちですし、先に性善説性悪説的な感じで決めてかかっているわけですし、ある意味では裏切られたりしてもダメージが少ないように決めてかかっているといえるでしょう。つまりは身構えているし、どちらにしろ傷つきたくない。解説では「菜根譚は人を信じず傷つくよりも信じて傷ついた方がいい」的なスタンスを尊重していますと書かれていますが、どうもそう思えないなと。その始まりからして身構えており、防御の姿勢的な偏りを感じさせます。それは不自然であり、姿勢としてはおかしいのではないかとも思えるのですが。まあとはいえ姿勢を取らず無防備で大打撃を受けるよりは、多少なりとも身構えておいたほうがいいということも考えられなくもありませんが。


 ・ゲームみたいに義理堅さや野望みたいなのが値として出ていればいいんですが、なかなか現実はそうもいきません。そうなると裏切りを心配しないといけないし、かといって裏切りだけ心配していて他人に任せないというのでは二進も三進も進まないという事態に陥ります。大きく任せて大きく裏切られたら国家の存亡にかかわるし、任せないなら任せないで問題だと言えます。


 ・秦の始皇帝は部下を信用しないことで有名でしたが、中華統一前、ですから秦王政(せい)であった時に楚との戦いを老将である王翦(おうせん)に任せることになりました。秦のほぼ全軍と言っていい60万もの大軍を任せるのですが、ただでさえ疑り深い政にとってこれだけの大軍を任せるというのはどれだけの苦痛だったことでしょうか。
 王翦はそこでたびたび政に自分へ、つまりは子孫への恩賞を催促します。あまりにしつこく使者を出すもので、側近としてはあまりに催促して秦王の機嫌を損ねては、と心配する者も出たのですが、王翦は言います。そうではないと。私が裏切れば秦など滅びることになるし、秦王がそれを心配すれば死ねという使者を送ってくることは容易いと。それよりは、王翦も老いて耄碌したか、こうもしつこく恩賞を確約させようとするとはと思わせておいた方が安全だし、任務も遂行できるのだと答えたと。そして王翦は楚を打ち破って秦に帰投します。これは疑り深い政がそのギリギリまで人を信じたという稀有な例だとみていいでしょう。これほどまでに信じること、用いるということは難しく、そしてその期待に応えるということが並々ならぬ努力によって初めて実現されるものだということがよくわかります。


 ・諸葛亮は一切の雑事を他人に任せず、全てを自分で切り盛りしたということですが、これはある意味では最も楽な道だと言えます。他人に任せない、全ては勝手知ったる自分が遂行する。これによってミスは一つも起こらないというわけですが、その反面任されることがないがために部下たちの能力は伸びることがありません。その機会を全て奪ったのは諸葛亮自身だと言っても過言ではないでしょう。その意味では蜀の未来を摘んだのは他ならぬ諸葛亮自身ではなかったろうか。もっと伸ばされるべき芽はたくさんあったのではなかろうかと考えられると思います。
 蜀の後期(といっても諸葛亮の死から蜀滅亡までは30年あったわけですから、諸葛亮の死は実際には中盤の始まり、もしくはどう長く見ても中盤の終わりごろだとみる方が正確でしょうが)、魏に比べて圧倒的に国力の劣る蜀がさらに人の育成に手をかけないというのでは勝てる見込みはさらになくなります。諸葛亮は小事をすべてこなしたことで、大局的には蜀の国力を衰退させたとみていいでしょう。つまりは任せる能力、人を信じる能力の欠如がここにはあると言えるでしょうし、ここで諸葛亮一人が英雄となったことが「一将功なりて万骨枯る」の典型的なパターンだとみていいでしょう。一人が悲壮感もって頑張っている時というのは、大体こういう場所に落ち着くこととなります。
 こうして人を信じないということは優秀さに繋がる面があります。それは優秀な人材が根こそぎいなくなることで、自身が優秀になるがためにそういう事態に陥るのだと。そして千利休じゃないですが、一輪の花の美しさのために九十九の花を刈り取るような様式というのがそこにはあります。


 ・王翦という人は自身が「老いた」、それによって仕方のないヤツだと舐められ、侮られることによって一歩引いて初めて始皇帝と歩みを同じくすることができました。枯れた花に身をやつすことでようやく始皇帝と一緒にいることができたわけですが、諸葛亮のそばではそうした例はなかなかありませんでした。魏延などは武勇だけでなく本当は築城の名手でもあったということですが、裏切って打ち取られたことでそういう話は伝わらなくなっています。魏延こそはまさに刈り取られた花だと言っていいでしょう。


 こちらに魏延について紹介されていますので、参考までに貼り付けておきます。











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