菜根譚72、自省(扶蘇の行き過ぎた自省について)






 「己を顧みる者は、触れたものすべてが薬となり砥石となる。
 人をとがめる者は、心を動かすごとにそれが自らを傷つける矛となる。
 片や人々にとっての善の道を開き、片や諸悪の根源となる。この差は、天地ほども開く結果に至る」


 ・一つの出来事があった時に、自分を責めるか他人を責めるかですね。その問題は自分の方にあるかよそにあるのか、どちらだと思うのか。基本的には自分の方にあると考えた方がいいということなんですが。


 これ悪用されかねない節もあるのかなと。「菜根譚にはこんなこと書いてあるんだぞ」なんて言って全てを背負い込む結果となれば破綻しますし、悪をのさばらせる結果となりかねない。だからこの一節に寄り添えば基本的な見方を見失いかねない危険がある。それを知って離れればこの「問題は他者の側に、自分以外の側に常にある」という結果をもたらしかねない。基本的なようであり簡単なようでいて、それでいながら実際に用いるには非常に難しいものでもあると思います。


 ですから基本的には、まず問題を「この問題はこっちが悪い、またはあっちが悪い」というのを10で分けて5:5だなとか7:3だなと主観的に見て判断する目があるべきだ、ということが前提となるものだと言えます。そういう前提なしにこういういかにもなヤツを取り入れれば大体は悪い結果へとつながりかねない。
 これをその通りだと丸のみにして受け入れてうまくいくというのは余程幸せな人間だと思いますし、そういう人にはそもそも菜根譚を読むこと、つまりは現世を生きて悩み苦しむこと、そしてその先に答えを求めるようなこと自体が不必要なんじゃないかなと思います(笑)いいものを受け入れて良かったと言い、あれはいいよと言っていれば多分最期の最期まであっさり到達できてしまえるんじゃないでしょうか(笑)そうなるともはや菜根譚すら焚書坑儒の対象になりかねないですけどね。テレビ見ていれば一生健やかに暮らせると思います。


 ・秦代の末期ですが、劉邦たちは賦役として中央に働きに出なくてはなりませんでした。
 そこで劉邦が率いていったのですが、途中で大雨に遭ってしまい先に進むことができなくなります。
 秦の法率はあまりにも厳しく、遅れても斬罪、行かなくても斬罪というものでした。雨が降って道が通れなくなっていけませんでしたなどということは当時認められる余地がありませんでした。
 これは困った、大人しく行っても斬られるだけ、斬首しかないというのでは行っても割に合わない。そうこうすると一緒に行く人々が逃亡し、部下を連れていくことまで困難になります。監督不行き届きでさらに罪は重くなるばかりです。じゃあどうせ斬られるだけなら思い切って山賊にでもなるかと劉邦は決めてしまいます。これが功を奏して、当時秦に対する反乱軍が中華各地で起こっていたのですが、劉邦もそちらの流れにうまく乗ることができました。


 ・どうしても仕方のない時というのはあります。あれが悪いこれが悪い、自分が悪い他者が悪い、さらには運が悪いと(笑)何かが悪い時というのは必ずあるし、どうしようもない時というのはあるものです。それを斬首されると分かっていながら出向いて行って大人しく首を斬られるというのではまるで聖人君子です。恐らくそれをできる人は多くはいないと思いますし、人にはそれを責められても自分でそれをできる人は決して多くはないと思いますし、またそうして大人しく首を斬られることが必ずしもベストではない。刑場の塵となっておしまいでしかない。


 ・この劉邦が山賊となるくだりですが、これと対照的なのは始皇帝の長男の扶蘇(ふそ)ですね。当時長城建設工事のために北方へと赴いていましたが、始皇帝としても賢く時代は扶蘇だと思っていたようで、建国の功臣である蒙括(もうかつ)将軍に完全に任せていました。全幅の信頼を寄せていたと言っても過言ではないでしょう。


 ところがそこへ「父からの命令」がやってきます。
 扶蘇も蒙括もとりあえず死ねという偽の命令書です。
 蒙括は当然これはおかしいと思いますが、扶蘇は「孝ということは親を疑わぬということだ」とその命令を疑うことなく死んでしまいます。蒙括もその後後を追って自害させられますが、これは宦官の趙高(ちょうこう)による悪だくみであり、二人はそれに乗って馬鹿正直に一切疑うことなく大人しく死んだまで、という話でした。


 ・扶蘇は確かに聖人君子の器だったかもしれません。
 「孝」を貫いて死ぬということは当時の価値観で言えば素晴らしい生き方だったかもしれませんし、見方によっては称賛されるような代物だとも言えるでしょう。皇帝を継いで二代目になっていれば、もしかしたら人民のことを考えた素晴らしい統治をできたかもしれません。
 しかし彼は人々のため、素晴らしい政治をするということ以上に「孝」を重んじた。そこでは孝の道とその他すべてが対立しており、その結果扶蘇は孝を選び取ったわけです。これは人民を見捨てることに等しい。その先に果たして聖人君子の道はあり得ただろうかと考えると、恐らくあり得なかっただろうと考えます。孝をここまで重んじた扶蘇に、果たして始皇帝の政治を批判するような政治ができただろうか。むしろ孝を尊ぶあまりに踏襲する道を選んだのではなかったろうか。批判し修正しより良くする道なくして、聖人君子となろうとはあまりに虫がよすぎはしないか。つまり操り人形でしかないということと聖人君子とは違っていて当然です。その道を恐らく扶蘇は選び取ることはできなかった。始皇帝と対立し、命令に逆らってでも進むべき道はあったはずです。しかし彼は孝と民とを秤にかけて孝の方を選び取ってしまった。孝子の名を汚すことを恐れ、すべてを失ってしまった。


 ・反省することは立派でしょうし、他人を責めるばかりの人は愚かにしか見えない、というのは確かです。
 しかしそれにも限度があり、この扶蘇のように偽の命令書に従っておとなしく自害するというのではもはや本末転倒だと思えてきます。
 確かに正しそうにしか見えない一節ですが、この文の正しさもよくよく顧みられる必要性を感じます。








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