最近だけではないが、よく勉強の意義について考える。
大学の頃もうひたすら机にかじりついて勉強ばっかりしていたものだった、で当時バイトとかサークルとかいろんな方向性がある中で勉強という第三の、しかもまず誰も選ばないだろうって道を選んだわけなんだけど、それを選んでからよくこの道を選んだ意味ってなんなんだろうかとか、どういう意味があるんだろうか、またはあっただろうか(それはつまり全く手ごたえが感じられないことと無関係ではない。つまり要するに無意味だよねという自省)などと思ってきたものだった。ムダなんじゃないか、もっと有意義なことはいくらでもあるんじゃないのかとかよく思っていたけど、とりあえず徹底的にやると決めて、そして卒業となり感じた虚しさというのはもう異常なほどの規模であり、そしてその反動で、何の意味があったのかと反芻したまま本をもう読まない生活をずっと続けていた。「勉強は裏切らないとか、本は裏切らないなんてのはウソじゃないのか」と思いながら数年間生きていって、最近になってまた本とか読み始めるようになっている。
・「勉強しなさい、とよく言われるけど数学とか社会に出て何の役に立つんだろうね」
などとよく言われるが、これは正しい。使わないと言えば全然使わないし、使わないで生きてもいいのだから。そもそもそう思う人が数学を使うような道をわざわざ選び取ったりするものだろうか。その意味で「数学は社会に出たら役に立たない」ということは予測している人が自らその予測を実現させながら生きているに等しい。いわゆる確証バイアスというヤツである。
つまり役に立つと思えば役に立つような人生をある程度選び取る傾向はあるだろうし、少なくとも忌避したりはしないともいえる。つまり当たる確率はおのずと高くなるわけだし、そうでないのであれば当たらないのだからそりゃ役に立つこともないというわけだ。
・でもこの勉強力、つまりイヤなことをめんどくせーなと思いつつその思いをスルーしてとりあえずやる、という能力は間違いなく役に立つ。そしてその能力、つまり英語なり数学なりを伸ばしていくと。めんどくせーものをテストを受けられる段階にまで持っていき、そして10点だったものを20点に、20点を30点にと上げられる能力は役に立つ。
それができない、ということは必要性はわかるけどやるのがめんどくせーものが全くできないことになる。そして世の中は楽しいものに溢れている。YOUTUBEを見れば面白おかしいことやってるヤツばかりであり、仮にスマホ触れなくてもテレビ見てれば一日なんてあっとゆーまに過ぎていく。そんなものが溢れているこの世界で、何が悲しくて一番やりたくなくてかつめんどくせーものに取り掛からなくてはならないのか。もっとやるべきこと、見るべきものはあるのではないか。そうなると勉強をやる意義なんて縮小化を続ける以外にない。
・でもこの世界でもしも必要性を感じ方向転換しなくてはと思い、やっべー勉強しなくちゃと思うのであればこの勉強する力というのは意外と役に立つ。これというのは自分の願望ではなく、必要性に合わせて自らを変化することができるということを意味するからだ。つまりは、この世界に、この世界の変化に合わせて適応するための適応力だと言ってもいい。そうしたものを身に付けることができているというのは非常に強いと思うし、またこの世を渡っていくうえでの強みになると思われる。
・福沢諭吉はもともとオランダ語を勉強していたということだけども、ある時やっべ―これからの時代はオランダ語じゃなくて英語だわと気づいたんだと。でもこれまでずっとオランダ語を勉強してきていた。このままいけばもしかしたらもしかして、英語じゃなくてオランダ語の時代がやはり到来するかも知れないじゃんとも思った。でもそこで葛藤の末にオランダ語を捨てて英語の勉強を0から始めることに決めたわけだ。そうしたら皆さんご存知のように、明治から今に至るまで英語の時代となっているわけです。
確かに今までやってきた努力が完全にムダになると感じた時の福沢諭吉の無念いかばかりかと思うけど、でも福沢の本当の強みはそこでイヤな事と知りつつも0から始めると決められた、必要性に合わせて自らを適応させられたその適応能力の高さにあるのではないかと思うわけです。つまりは福沢は勉強力が高かった。だからイヤな現実を受け入れて、0からスタートすることができたわけなんだと思いますね。
「勉強ってなんのためにするんだろうね」って問い今も昔も変わらず多いと思うんですけど、この福沢諭吉のエピソードはその意義について一つの答えを示しているものではないかなと不意に思いついたものであります。
この記事へのコメント
y=k
きんたさんって、勉強の仕方が合目的なのですね。もちろんその成果を楽しみにブログを拝見させてもらってます。
私の場合、なんか面白いから勉強してたら場当たり的に役に立ったって言うのが多いかな~。
あとね、マニアックな知識が分野の違うマニアックな知識と関連があったりすると面白いですよ~。
面白いしか言ってない、すみません。
これからもきんたさんの文章を楽しみにしています。
きんた
いやーいいんじゃないですか?笑99%くらいそれでいいと思いますよ。むしろそれはかなり成功だと思います。重要だけどつまらないことをやってても大局的には何やってたんだろとなるでしょうからね。
ただ、努力していたらどっかでその意味は、意義は、効果は、とか飢える時がくるように思います。それにも負けない、ということはそれにも応えられるだけの力が欲しいということでもあるでしょうね。だから最終的にどういう形で救われるか、救われたいかっことなんだと思います。だからそれで満たせれば、それはそれで完全にヨシなんだと思いますね笑(^^;)
> y=kさん
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> 勉強の意義ですかぁ、難しいですね。
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> きんたさんって、勉強の仕方が合目的なのですね。もちろんその成果を楽しみにブログを拝見させてもらってます。
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> 私の場合、なんか面白いから勉強してたら場当たり的に役に立ったって言うのが多いかな~。
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> あとね、マニアックな知識が分野の違うマニアックな知識と関連があったりすると面白いですよ~。
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> 面白いしか言ってない、すみません。
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> これからもきんたさんの文章を楽しみにしています。
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