菜根譚70、士君子の道(韓信の栄枯盛衰について)






 「士君子というものは貧しい者であり、物質面において人を救うことはできないが、人の迷える場面に出くわせば適切な一言によって人を目覚めさせる。
 人が救いを求めている場面に出くわせば、適切な一言によって人を救うことができる。これまた無限の功徳という他ない」


 ・以前なら「その通りだ!」と膝を叩いて我が意を得たりとしたことでしょうが、今思うことはそれだけの実効力のある言動ができるのであれば実現化することが重要だと思うようになりました。効果だけが全てだというわけではないですが、しかし効果が伴わないことに私自身あまり重きを置かなくなりましたね。もし本当にそれが正しいものであり、またそれだけの素晴らしいものでもあるのであれば自分の身を救って見せるべきだし、それができてナンボだなと。そこまでできないのであれば容易に救うとか手出しするべきではないと思います。
 もちろん人を救うことも、そうして救われる人がいるということもそれは素晴らしいとは思いますし、その力を疑おうというものではありません。ただ、救われた人は、人というのは救われたら「のど元過ぎれば」であり、次に思うことはなんでオレが溺れなくちゃならないんだと。オレも溺れさせる側に回ってやるぞということであり。その意味で、救った人というのはその次に突き落とされる可能性が最も高いと言えます。そして、突き落とすことによってその人が救われる、そういうパターンを数多く見てきたらなんだかアホくさく思えるようになってきました。
 最終的に救った人が突き落とされて溺れるところまでがワンセットなんですね。



 ・韓信はもともと楚の一兵卒に過ぎませんでしたが、その献策の凄さと具体性によって范増が項羽に推挙しましたが、「あいつは冴えん男だから取らない」ということで項羽の下では採用されることがありませんでした。用いないのであれば、他国に行くと災いとなりますから殺しておきなさいとも言いますが、まあ大したことはなかろうということでこれも無視されました。
 その范増の推挙から張良に知られるようになり、漢に行き大元帥として用いられることになります。一兵卒が軍隊のトップとなるという事態ですから今考えてもあり得ないような事態だったろうと思います。そして韓信は向かうところ敵なしであり、元秦の名将章柑(しょうかん)も破り、各国を平定して回り、ついに項羽を打ち取ることに成功します。


 ・漢というのはもともと楚の項羽によってへき地である蜀に押し込められた、というのがその実態でした。劉邦をはじめとして蕭何(しょうか)も曹参(そうしん)もこの時に押し込められ、しかも無敵の項羽と戦っても勝ち目はないし朽ち果てるまでへき地にとどまるしかない、しかしそれだけはごめんだというような中で、なかばやぶれかぶれで韓信が抜擢される流れとなったわけです。そして韓信は見事に期待に応えて、無敗で戦い続けました。
 そうして天下平定が終わると、韓信は最も功績があるはずなのに、最も速く誅殺されることとなりました。韓信も、自分を抜擢してくれた蕭何の正体は拒むまいと思われ、事実そう思い、蕭何に呼びだされ殺されるという流れになりました。


 かつては沈む一方だった劉邦に蕭何たち一行ですが、こうして浮かび上がってみると今度は邪魔ものは韓信です。もしも韓信が裏切ったら、劉邦をはじめとして誰も韓信に勝てる者がいない。そうなる前になんとかせねばという流れの中でこれは起こりました。今まで尽くしてくれたという忠義は全く顧みられることなく、ただ闇雲に将来のもしもの芽を取り除こうというものでした。


 ・もちろん人の道はあると思いますし、士君子の道もあるとは思います。しかしここまでを一通り見ていないと、最後に用済みとなり消されるまでが士君子の道となりかねない。
 それはちょっとおかしいんじゃないか、まずいんじゃないかということでこうして書いてみました。











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