菜根譚69、窮鼠猫を嚙む(兵法を活かす生き方)






 「悪人を排除し、今後一切の災いを防ぐには彼らに一本逃げ道を残しておくことが肝要である。
 もしこれに一本も逃げ道がないようにしてしまうと、例えて言えばねずみの穴を塞ぐというようなものである。
 一切の道をなくしてしまうと、肝心な場所までが破られてしまう」


 ・言いたいことは「窮鼠猫を嚙む」と全く同じですね。普通に考えて良かれと思って徹底的に逃げ道を塞ぐと、追い詰められてやけっぱちとなり痛手を負わせられることになる。兵法的に理が適っているのは逃げ道を一つ残しておくことだと。そうすればまだ逃げ道があると思って逃げる方に殺到する。それをついつい我々は逃げ道をなくすのがよいことだとやってしまいがちですが、逃げ道を失ったねずみは何をしでかすかわからない。普通に考えるのと兵法の考え方とは全く異なるものですが、この兵法の考え方は現代にも相通じるものがあると言えるでしょうね。どこへ行っても行き場がない、居場所がない。そういうことが過激な活動の温床になるというのはあるのではないでしょうか。どこへ行ってもダメなら、やぶれかぶれでも何かやってやろうと、そういう方向性を大きく残しておくというのは一考の余地があるのではないでしょうか。歴史的に見ても、大体大いにやらかすのはこうした温床から発したエネルギーだったように思います。秦の圧政に耐えかねて陳勝呉広も劉邦も山賊だのになってそこから秦を覆していますし、黄巾の乱以上に民衆の腹に据えかねたのは宮廷の暴虐な様子だったのではないかと。そこから新しい時代を作るためのエネルギーが出ている例というのは外にも枚挙に暇がありません。
 ちょっと余談にはなりますが。



 ・項羽の片腕には范増(はんぞう)という者がいまして、彼はよく兵法を知っていました。
 章柑(しょうかん)という秦の名将がいましたが、彼はあまりにも功績を上げたがために秦から恐れられ疎まれ、そして家族を皆殺しにされています。そして項羽を頼って秦兵20万とともに降伏することになります。
 しかし彼自身の内には、一生懸命働いた自分に報いるのに家族皆殺しで答えた秦への復讐心はありますが、秦兵の中にはそんな気持ちはありません。章柑はなんで楚(そい、項羽軍ですね)に降ったのだとか、いっそ寝返ってやろうかとか不満が渦巻いていました。そもそもおおよそ5万程度しかいないのに20万の兵が下ってくるわけですから、圧倒的に秦兵の方が多いわけです。


 これを聞いた范増は、20万の秦兵を皆殺しにする作戦を立てます。それが常に逃げ道を一つだけ開けておくという作戦でした。
 逃げ道がなくなれば刃向かってくるでしょうが、逃げ道が常にあればそっちの側に逃げるものです。そして秦兵は5万の兵によって襲撃され、崖へ向かって追い落とされて地上から消滅するという事態が起こりました。これは後に劉邦が項羽を討つための大義として掲げることになります。


 ・これ、秦兵20万を埋めた地は「新安城の南」ということですが、遺跡とか発掘されてる記事とかありそうなものですがちょっと見当たりませんでした。それよりもさらにさかのぼって、長平の戦いに関しては50万の趙兵が生き埋めにされたということで実際に遺跡が発掘とかされているんですが、その後年になるのにこの秦兵の方は出てきませんでしたね。
 ということで、白起将軍が趙兵50万を埋めたという記事のリンクを貼って終わろうと思います。












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