「爵位はそこまで上位を極めない方がいい。そうなると落ちることを心配せねばならなくなる。
できることは全てをし尽くさない方がいい。すべてやり切ると後は衰えるばかりである。
理想は高くし過ぎない方がいい。高すぎると不満や誹謗によって壊れる結果を招く」
・すべてに共通しているのは、最高まで頑張らない方がいいと。ほどほどに適度にしておけということですね。
あまりにも高位に就くと転落を恐れるようになる。前回の呂氏も転落を恐れているがために呂氏をたくさん宮廷内に上らせる結果となりましたが、そうしないと落ち着けなくなるわけですね。身内で固めるというのは源氏と平家も同じでした。赤の他人に裏切られる危険よりは、身内というその動機のない者で固めたいのが人情だというわけですね。これは劉邦が皇帝となったがための、妻である呂氏の不幸だと言えるでしょう。
・できるからといって全てをするなというのはまさにその通りです。簡単だから、パパッと片付けるからといって次から次へと仕事をしていて休む間もない、寝る暇もない状況になっていくというのは例えば諸葛亮などが上げられます。本当に優秀であれば、すべてをこなすのではなくあれやっといてと他人に任せるのも大切なことだと。諸葛亮はそれができなかったがために寝る間も惜しんで全てを自分で行いました。そして寿命をすり減らし、替えのいない諸葛亮を失ったことで蜀は傾いていきました。テキトーさをもう少し持ち合わせていれば蜀の結果もかなり変わっていたのではないかと思われます。大黒柱が一生懸命働いてその結果死亡し、国を傾けるというのでは本末転倒です。
優秀だったのは間違いない、でもその優秀さが諸葛亮を平凡にしてしまった、平凡な寿命と平凡な功績で終わらせたというその結果は重要だと思います。中にはそういうこともあると。
・理想は高すぎない方がいいということですが。例えば反董卓連合軍の例を挙げましょう。
これは暴虐非道の限りを尽くす董卓に反対して各諸侯が結束して董卓を懲らしめようと立ち上がったものですが、結果的にはこれで董卓を捕まえたり、斬ったりすることは叶いませんでした。その理想自体は明確だし、また妥当だと思えるものですが、ただそれを実現することが叶わなかった。董卓率いる精鋭は強く、袁紹率いる連合軍の足並みは揃いません。したがって現実的に実現するのはなかなかに困難なものでした。
洛陽を焼いて長安へ遷都したり、董卓率いる精鋭と戦っているうちに諸侯は各々の野心に目覚めていきます。そして董卓死後の世界を考えるようになります。
董卓が死んだ次の世は、じゃあ誰が標的になるかといえば頑張って勢力をすり減らしたものが頑張ってない者によって併呑(へいどん)されていくことになります。
そうなるとじゃあ様子見をした方がいいじゃないかということになります。
これで一番割を食ったのは孫堅でした。孫策、孫権の父になる人物です。
虎牢関を攻め立てる孫堅に対し、袁術は武具や食糧を送らず困窮させました。
あるいは自領に引き上げようとする孫堅を襲ったのは劉表でした。先頭に立ち一番頑張っていたはずの孫堅は味方によって叩かれ、討ち死にし、そして遺児の孫策らは袁術のところへと逃れていくことになります。こうした事情に困らされていたのが孫堅、劉備、曹操というその後三国時代を作る者たちであるという点が共通しているというのはおもしろいところです。三人とも理想は高かったのでしょうが、しかし現実が逸れには追い付かなかったようです。
孫堅は仲間に叩かれ、曹操は董卓に追い打ちをかけて失敗し命からがら逃げ伸びています。
劉備はパッとしないまま参加していますが、やはりパッとしないままで終わっています。
・理想は高すぎない方がいいとありますが、もっと分割された小目標を幾度も作り、そのために頑張るという状態を維持し、それが達成されたかどうかをしっかりとチェックすることが抑えられていればこうしたことにはならなかったのではないかと思いますし、そうなるとトップとして率いていた袁紹の統率能力自体にいろいろ問題があったのではないかと思われてきます。
理想を持つなということではないし、過度な理想を持ってそれに向かって闇雲に走るなということでもありますし、その理想の適度さについてよく考えろということでもあります。身の丈を考え、その適度さを思って理想を持ちつつも、その理想に向かって階段を設置するように一段一段目標を設置する、ということが大切ということではないでしょうか。
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