菜根譚62、底の知れなさ(張飛を引き合いに出して考える)






 「他人のウソに気づいても言葉に表さず。
 人の侮りを受けても顔色に出すことなく。
 この中に不朽の意味があり、尽きることのない働きがあるのである」


 ・人生の難しいところですね。
 嘘つかれたら「騙しやがったなー!」と激怒して警戒させることが身を保つこともあれば、気づいてないからまたやってやろう、いい鴨だとなる場合もあり。
 侮られて「なんだとこの野郎!」と怒ることがこいつは怖いヤツだとなって身を保つこともあれば、顔色に出さないことがこのうすのろめ、バカにされたことに気づいてもいないんだろうなと思われることもある。そう思うと単純で打てば響くような張飛のような人間の方が人間味があってわかりやすいなと。実際愛されるのも張飛みたいな人間な気がします。その対極にいる劉備という人間の底の知れなさを思いつつ、その働きを思いつつも底の浅い人間のその浅さというものも捨てがたいなと。というより現実世界を生きてて得であるのは張飛のような生き方だよなと思います。


 ・呂布という人物がいました。その武勇は天下一流で、怒らせたらまずい人間の筆頭ですが張飛は臆するところがありません。
 三国志Three kingdomsでは「三つの家の奴隷め!」と面と向かってバカにしていました。呂家で生まれたのでしょうが、義父の丁原のところで養子となり、その丁原をあっさりと裏切って董卓の養子になっている。三つも家を変える、父を変えるような人間が今までいただろうか。なんと不名誉な話なのだと。
 これを聞いて呂布も怒ります。面と向かってバカにしてくる人間がいるということもそうですが、そこは呂布としても衝かれてはやはり痛いところだったのでしょうし、だからこそ誰も指摘してこなかった。周囲もおもんぱかっていたわけです。でも張飛は遠慮なくそこをつつく。そして激怒した本気の呂布と一騎打ちをするわけですね。恐らくここまであっさり言ってのける張飛に対して、一定数の喝采があったことは言うまでもないことかと思います。


 ・勅使の督郵(とくゆう)に劉備がバカにされたらあっさり叩きのめして三人はお尋ね者となります。
 賢いのは黙ってやり過ごすとか、賄賂を黙って渡すとかになるでしょうが、張飛は遠慮しません。督郵を叩きのめします。そして逃げることになります。見てて清々しいほどに短慮であり、短絡的です。


 ・関羽が呉に撃たれたら、かたき討ちにと大張り切りです。
 そして部下に無理難題を押し付けますが、部下は不可能ですと言います。
 すると「てめえら、オレの命令が聞けねえのか!」ということでムチ打ちの刑に処します。恨みに思った、そしてこのままでは本当に斬首されるだけだと思った追い詰められた部下たちによって張飛は殺害されます。まさか兄のかたき討ちのために気合を入れてる段階で殺害されるとは思いもしなかったでしょう。本人は兄のかたき討ちで呉に一番乗りしてやる、まずは気合を周りに示さなくてはと意気込んでいたかもしれませんが、部下としては相当大変だったことでしょう。


 ・こうして張飛について三つくらい見てきましたが、まあいいとこなしだなという感じですね。気合い入れ過ぎて部下に殺害されるくだりなど笑い話にすら思えてくるほどです。
 とはいえ、この張飛の話を反面教師にしたりこうならないようにしようという反省がいかに難しいか。というより張飛風に生きた方がいかに得が大きいかを感じます。確かに愚かなんですけど、この愚かさを笑えないのが現代を生きる我々なんじゃないでしょうか。


 ・新渡戸稲造は
 「我々は価値あるものをぞんざいに扱う者を豪傑だともてはやすが、そうではないはずだ。
 価値あるものがわかる、それを丁寧に扱う者をもっと敬わなくてはいけない」というようなことを言っています。ぞんざいに扱う者というのはこの場合は張飛の話ですね。部下をぞんざいに扱い、前後の見境なく暴力をふるい、誰もが思っていることをあっさり言ってのける者としての張飛です。三国志から1800年経ってもそれはそこまで変わりませんでしたが、1900年経ってもそこまで変わらないように思います。そこには一定の理があると言えるでしょう。
 この事情の難しさについてもっと思いを馳せる必要があるのではないかと思います。







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