菜根譚60、口を開くこと(楊修と劉備)






 「いつも物静かな人に出会えば、しばらくは心を許してはいけない。
 自らよくしゃべるような人に出会えば、すぐに口をふさぐべきだ」


 ・注にあるのは、前者はその考えていることがわからないために控えめにするべきだと。
 後者はこちらの発言を誤解したりしていいふらされたりする可能性があるから軽々しくしゃべるのはやめるべきだということのようです。
 まとめると沈黙は金ということにもなりますが、まあ社会を生きているとなかなかそうもいきません。しゃべらなくてはなかなか世渡りもままなりません。


 ・失言と言えば楊修(ようしゅう)ですね。曹操の「鶏肋」(けいろく、鶏の肋骨ですね。大して食べるところはないが、かといって味があるため捨てるには惜しいという意味)を見事に読み切ったところまではいいのですが、それによって曹操を怒らせてしまい斬首されました。弾は悪くない、というより稀有なくらいに頭が切れる人だったと思いますが、残念ながらそれがプラスに作用することまで考えていなかった感じがあります。目のまえの戦術に関しては無敵だったかもしれませんが、大局観を持つまでには至れなかったようですね。こういうことは多いと思うんですよね。
 頭が切れ、口も立ち、行動力もある、ところが総合的にはなぜかマイナスになるという場合が。プラス×プラスは、算数ではプラスのままですが現実にはマイナスに変わることもありうるという話ですね。そもそもそれでプラス=いいとなるのであれば、人は身体にいいものばかりを食べる賢い生物となりそうなものですが、実際には味がよいとかそういう基準もありますし、アルコールなんて持っての他となりそうですが実際には世界中でアルコールは愛飲されています。理論が先行してそれだけでいいのであればそういう風に世界は回っているはずですが、そうではないことに気づけない。楊修は残念ながらそこまで頭が回っていなかったように思います。


 ・たびたび出してますが、劉備という人物をまた出したいと思います。
 個人的にいろいろとすごい人物だと思っています。農民から皇帝になったこともそうですし、その時々で危険な状態になりながらもその危機を常に脱している。曹操配下の文官たちは常に「劉備は早めに何とかした方がいい」と進言しますが、つけ入る隙を与えない。そしてまんまと逃げおおせてしまう。それを「運」という一言で片づけることはなかなかできないように思います。頭の切れる人々に警戒され、それでも逃げられるだけの危機意識とアンテナがあったと。諸葛亮が出てから影が薄くなりがちですけども(笑)
 何があっても怒らず、淡々と腰を低くして処していくだけですが、でもなぜそれができるかといえば大望があるからできるんだと。その大望の前には我慢しなければならないことがある。劉備はそうして謙虚な姿勢を貫きますが、その様子はいかにも不気味です。張飛などはすぐに怒って暴れ回りますが、その方が余程人間味があるしわかりやすい。その点劉備は何を考えているかわかりません。感情がないを通り越して、愚図でそこまで頭が回っていないようにすら思えます。


 ・韓信なども似たような話で人の股くぐりをさせられて「男なら誇りを傷つけられたと相手を切るべきだ」と笑われますが、本人は「こんなつまらん男を切って捕まってもつまらん」と淡々と他人の股くぐりをします。その様はいかにも愚鈍で愚かなようにも見えますが、見方によっては当然怒るだろう場面で淡々とやるべきことを行うだけですからこれまたいかにも不気味です。


 ・ちょっと本筋から外れてる感もありますが(笑)、大望のために身を屈するという生き方もある、我慢に耐える生き方もあるということですね。






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