菜根譚59、壺と巣窟(范増、司馬懿、龐統で考える)






 「巧妙であってもそれを拙さの中に隠し、くらましつつ明らかにする。
 清廉であっても濁の側に寄せ、屈することをもって伸長する。
 これが世を渡る際の『一壺』(川を泳ぐ際に身を寄せられるものの意味)であり、身を隠すための『三窟』(賢いウサギは三つの逃げ穴を持つという故事を踏まえている)である」


 ・「屈伸運動」とかあるわけですが、屈することが伸びるための力をもたらす。
 弓も弛むことがいざとなる場合に張る力となる。
 謙虚さもそのように屈することによって、何らかの伸長するための力をもたらす源や契機となると。膝や弓などの具体的な例が概念の方まで応用されている例でしょうね。


 「誇る」とか「示す」とかで我々はつい背伸びじゃないですが、伸びる方をやりたくなりますが。伸びるというのはそれだけではない。謙虚な姿勢を示すことが屈することになり、それが伸長を生むために重要な働きを示すことがあるんだと。


 ・艱難辛苦(かんなんしんく)にただひたすら耐えるのみ、というのは日本でも多いような気がしますが、中国でも少なくはありません。ただ、人生において伸びあがる時期というのがあったりなかったりすることがあります。それこそいつかと思っていてもとうとうその時期が来ない場合もありますし、来た! と思って伸びてみたら時期尚早だったというような例も少なくありません。適切な時期とかその適切さを見極めることがいかに大変なのかを思います。


 ・范増(はんぞう)などは項羽側に仕官を頼まれましたが、その後「しまった、使えるべき主君を間違えた」と知りつつも項羽に仕えつづけ、幾度も功績を立てますが最終的には項羽に裏切っているのではないかと疑われて激怒しつつ陣を去っています。いくら能力や才能があり、そのために雌伏の時を過ごしていたとしても、最終的に仕える相手が項羽であったのでは、つまり本領を発揮しても認識できない主君というのでは力の持ち腐れです。組織が小さい時に仕えたために常に最前線で活躍できたのはトクといえばトクだったでしょう。


 ・司馬懿などは仕えても華々しい活躍をしないではつまらんと仕官を断っていますが、曹操に見抜かれて仕官を勧められます。ところが袁紹も滅び、これから孫権という飛ぶ鳥を落とす勢いのところにいてもなかなか活躍をするのは難しいだろうなあと仕官を渋って仮病を使います。ところが仮病がバレてしまい、否応なく仕えるハメになりました。ところがその後孫権に赤壁で大敗したので、司馬懿は運よく活躍することができて出世できたわけですね。その後馬謖の計略にかかり失脚をすることもありますが、これがきっかけとなって諸葛亮との戦いへ、五丈原へと繋がっています。時期を間違えたかと思いきや、意外と適切な時期を得ていた例ですね。


 ・龐統(ほうとう)という諸葛亮と並べ称される男がいました。この男は諸葛亮がすでに劉備に仕えた後という微妙な時期にやってきており、しかも諸葛亮は赤壁前後で大活躍を既にしている後であり、いかにも影が薄くなるタイミングで劉備の下へやってきます。そして県令などを任されて実力を発揮し、劉備に一応認められはしますが、しかしそれでも諸葛亮の影という印象が否めません。
 さらには自らが主役となって行うことのできる益州攻略戦において、いきなり敵将の張任(ちょうじん)によって射殺されます。遅れてやってきたうえに活躍の場があっさりと終わるので、ものすごい存在意義が薄い感じです。「鳳雛」(ほうすう)と呼ばれてはいましたが、果たしてどれほどすごい男だったかもとうとうわからずじまいです。そのため「本当はすごい男だったんだよ」といかにも言いたげに演技やマンガでは赤壁で曹操や孫権を相手にいろいろ工作もしてはいますが、そういうことをしなくてはならないくらいに印象が薄い(笑)
 遅く出てきた上に、活躍する場までなくなってはもう手も足も出ませんね。ある意味では一番こうなってはいけないという例かもしれません。せっかくの臥薪嘗胆(がしんしょうたん)であり、学問を一生懸命やってきたかもしれませんが、発揮する場がなくては元も子ともありません。


 ・ということで范増、司馬懿、龐統と挙げてみましたが、要は活躍の場あっての我慢であり、その持てる力を存分に発揮できてこそナンボなんじゃないかなと思います。
 我慢をひたすら続けての一生…… もまあなくはないのかもしれませんが、せっかくならばその持てる力を存分に発揮できる活躍の場を得てこそではないでしょうか。






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