掃除をする理由






 多分も20年ほどずっと「なぜ人は掃除をするのか」について考えてきていると思う。中学校の時に美化委員長になって「めんどくせ」と思ったのと同時に「どうして人は掃除をするのだろう」とか思ったのだろう。大体そのぐらいの時期からずっと考えてきている。中学高校くらいは「掃除しないとほこりとかで死ぬからだ」と結論を出していたが今なら全然違う答えを出すと思う。
 多分これ探したら前回とか前々回とかあるんだろうけど、忘れたし、そもそも探そうという気もあまりない(笑)
 全く同じこと言ってたらいやだな(笑)


 ・話は全然違うが三国志シリーズのゲームがあって、そのゲームでは連弩車が騎馬隊よりも先に攻めてくるという奇妙な現象がたびたび起こっていた。そのくらい奇妙かといえば、騎馬隊が先に突っ込んで後方から弓部隊が支援攻撃する、その自然さを思えば、それとは逆に弓隊が弓を持ったまま直接攻撃を始めて、騎馬隊が前に行けないから後方で待機をしているという。まあ要するにそういう感じである。
 でもこれはこれで合理的な理由は一応あるにはある。
 騎馬隊が先に攻めると後方から弓隊が延々と支援攻撃をし続ける。そうなると弓隊は無傷の上に無傷であるからこそ攻撃力も変わることがなく、そのために先頭終了後には先陣切って攻め込んだ騎馬隊よりも功績が上であるというような現象がたびたび起こる。だから甘寧とか蔡瑁とか趙雲とか夏侯淵なんて連中はラクラク階級が上がっていく現象が起きてしまうのだ。本来は。
 本来は、というのはリクツではそうなのだが実際にゲームをしてみるとこの弓部隊を指揮するはずの趙雲らがなぜか弓もって直接攻撃してきて、あっさり壊滅すると。だから実際には階級が上になるどころかほぼ敵の捕虜となっていたのを覚えている。
 おいおいこのゲームおかしいよ、あの趙雲がいつも敵の捕虜になってるよ、というのがいつもの笑い種だったのだが、でもこれには一定の理があり、それってのは現実のリアルさをかなりリアルに暴き出しているという意味では全然笑えない仕様となっていたように思う。つまり「現実にはそういうヤツほど活躍されるよりも早く潰しておかなくてはこっちの身が危うくなってしまう。だからこそ早めに潰しておこうぜとなる。
 誰かが太陽になれば誰かが闇になってしまうのだ。


 ・結局プレイヤーの仕事は「おいおい何やってんだNPCは」とボヤキながらきちんとしてやることだったりする。騎馬隊を前に出して、後方支援で弓隊は後ろから攻撃。そらそーだというこれをきちんとしてやることでゲームはうまく回る。そして敵軍は意外なほどあっさりと壊滅する。こうしてオレ天才軍師になれそうだなーとかNPCはアホだわ、などと思いつつまあゲームは終わる。でもそれでうまくいくのはゲームだからなんだよねと今では思う。というかなぜ連弩車が先に立って突っ込んでくるのか。この不気味さにある意外なほどのリアリズムの意味は思った以上に重要ではないかと。ある意味ではリアルにある深淵を覗き込めるともいえる。本当に現実感覚がありしっかりしていたら結構選ばれるのは前者であり、そして現実とゲーム(というより理論)との不適応というのを引き起こす場合はけっこうこの事態が根っこになっているような気がする。片方は「おいおい、それじゃオレたちがおまんま食い上げになっちゃうでしょ」だしもう片方は「なんてNPCはアホなんだ!」といつも思っている。
 そしてこの溝は埋まらない。


 ・で冒頭の話に戻るわけだがなぜ人は掃除をするのか。掃除して整理整頓するのか、というのはこの話に繋がるところがあるように思える。リアル派と理論派ってのはこうして対立しているわけだけどだからといって互いに否定を闇雲にしているというわけではない。それなりに互いに見るべきところはあるし、リアル派にある理論と理論派にあるリアルってのはあるものだ。その中でも掃除ってのは結局突き詰めれば騎馬隊を前に出して弓隊が後方支援をするということにある合理的な説明なんだろうなと。そこに合理的な説明を与えて、合理的に結果をもたらそうと思えばやはり理論は必要不可欠。確かにいやいや弓隊が上がったらオレたち斜陽じゃんってのもわからないでもないけど、でもここはそういう風にして理論派に座布団を一枚あげるような行為なんだろうなと思うわけです。



 本当は文系理系の区分に結びつけようと思ってたけど忘れた代わりになんかテキトーにくっついたんでまあいいかと。
 続きはまた思い出したら書きます。










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