菜根譚49、祖先の徳(諸葛亮の究極の保身の話)






 ものすごく久しぶりに書いてる気がしますが。
 大造じいさんが難しすぎたのと、菜根譚というか中国系に気が向いて戻ってきたのでしょうね。確か劉秀あたりを調べようとしてそのまま脱線していったような記憶がありますが(笑)パワーアップを図って戻ってこなくなった(笑)


 前回はこちら
 48、無技巧の幸福と技巧の災い(袁譚、袁煕、袁尚の話)


 ちなみに最近中国に興味が移ったのはなぜかって、「天地を喰らう」ってゲームがFCであるんですが、最近この動画を上げてる人を知ったからで。
 この人の動画めっちゃおもろいですね。

 蔡瑁(サイボウ)って敵将がいるんですが、パーティーの先頭の人物を呼んで
 「おうカンペイ久々よのー」
 みたいに言うデフォルトになってるのは知ってたんですが(ってかこいつら本当に旧知の仲か? みたいにいつも思ってたんですが)まさか大蛇(オロチ)を呼んで、
 「おうオロチ久々よのー」と言うとは思わなかった(笑) 
 日本に行ってしか戦えない相手がこのオロチなんですが、そいつを久々って言うとは一体こいつらどこで知り合ってたんだよという(笑)てかヘビと親しいのか蔡瑁はってのもおもしろかった。
 これは久々にツボでしたね。
 ってか小2以前に三国志自体に触れてたんだなあってのもかなり意外でしたね。まあ中国の地図とかめちゃめちゃなんですけどねあのゲーム(笑)だから多分幼稚園くらいから一応三国志に触れてましたね。意外に。


 さて。菜根譚ですね。

 「祖先の徳を問えば、その身に受けているところのものがこれであると言える。その積み重なった徳の厚さ、その困難に思いを馳せるべきである。
 子孫の福を問えば、その身で残すものがそれである。その傾きやすさに思いを馳せることが肝要である」


 ・「子孫に代々伝わる福禄」ということですが、これがいかに難しいものであるかということですね。
 確かになあと思います。
 曹操の子孫は一族皆殺しに遭ってますし、その皆殺しをした司馬懿だって八王の乱あたりで殺し合いをしています。
 前漢でも、天下統一後は「忠臣」ってのは誅殺の対象でしたね。
 韓信は真っ先に殺されなくてはならなかったし、よく働いた者は率先してやられてました。
 かといえば楚の項羽の下で働いていた者は「天敵の部下」ですから天下統一後もお尋ね者でした。
 鍾離昧(しょうりまい、またはしょうりばつ)などは韓信の下へと逃れましたがそれを恐れた韓信は匿えないと言いました。能力があり、かつ忠臣であるということはその後も劉邦の命をもしかすると狙う可能性もありますから、敵にしろ味方にしろ徹底的に弾圧したと。そういうことですね。


 ・こうなるともう誰も生き残れないじゃんという感じですが、だからこそ例えば諸葛亮の子孫などはちょっと特殊だなと思えますね。
 諸葛亮


 諸葛亮は蜀の皇帝である劉禅(りゅうぜん)に出師の表(すいしのひょう)を提出します。
 前帝である劉備(りゅうび)には非才の身でありながら大恩を受けました。だからこそ漢の敵である魏を滅ぼしますと。あんたももうちょっとしっかりしなさいよというようなことを表明して出兵するわけですが。ところが司馬懿が戦上手であったのと、味方内でいろいろゴタゴタしているうちに出兵は失敗が続き、そのうち寿命が来て諸葛亮は死にます。
 でも人々は諸葛亮のことを忘れることはなかった。命をかけてでも北伐をして恩に報いようとする諸葛亮の心意気に心打たれたからというのもあるのでしょうが、でもそれだけだったら恐らくよくある「忠臣」ということでそこまで取り上げられなかったんじゃないかと思います。
 問題はその「うまさ」にあると言っていいでしょうね。単なる忠義ならよくある忠臣でしかない。100%でしかないわけです。ところが諸葛亮は命を懸けて劉備の恩に報いようとしたし、その遺子である劉禅を叱ってでも前に進もうとした。ここにはかなり誇張といってもいいものがありますし、アピールするための技巧があったと言っていいと思います。これが巧みで絶妙であり、そして120点を取った。これによってレベルの違う忠義を示した、つまりは人々の感動をもぎ取ったわけです。


 ・100点までの範囲内であればそれは並みだし普通だということです。恐らくは人々の想像を裏切ることはなかった。想定内でしかない。でも120点を取ることによって諸葛亮はいい意味で人々の想像を裏切った。命を懸けた、これほどの忠義が示されたことが今まであったろうかというものを示すことができた。まああるし、それが諸葛亮がお手本としたといわれる楽毅(がっき)なんですが、とにかく諸葛亮がそうした形を意識していたのは確かでしょう。とにかく、そういう意味での「抜け目ないし、しっかりしてんなあ……」というものを具体的な形で示すことに諸葛亮は成功したわけです。感動をもたらすということにある、ある意味究極の保身ですね。保身の究極形が感動と言ってもいいかもしれません。


 ・前漢の功労者に張良(ちょうりょう)という人がいましたが、この人は褒美を全く欲しがることなく「仙人になりたい」と言って天下統一後に引退します。究極の無欲、野望のなさというものを示したために保身に成功したと。消極的な保身成功例ですね。
 それに比べると諸葛亮は積極的にポイントを稼ごうとしているのが見て取れます。管仲(かんちゅう)と楽毅を手本としたと言われる諸葛亮はですが、張良に見られるような消極的な型の保身ではなく、積極的なポイント奪取型の保身を図っているというのが非常に興味深いところだと言えるでしょう。


 ・魏が滅び、晋の司馬炎の時代はかなり大らかだったと言われますが。
 諸葛亮の子孫も晋の時代に登用されたという話があります。それも諸葛亮のなした行いが加味され評価されてのものだと考えると興味深いところです。良くも悪くも「あの諸葛亮の」という目で見られただろうその子孫は、一体どんな人生を歩むことになったんでしょうね。






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