ということで昨日に引き続きアドバイス問題……の亜種みたいな話だけど前回の話は要するに係数と問題解決ってのは秤にかけられていて、でアドバイスを頼まれた側のメンツとかが問われるようになってくるからどうしても解決以上にメンツになるよねって話だった。これがさらに話として進むとどうなるかってのが今回の話。
まあそりゃ単純にメンツ>>>>>問題解決となるからそりゃ解決されないよね、ということでもあるし、そもそも問題に対してじゃあ解決しようかという話でもなくなってくるということになる。突き詰めればそれは問題解決能力が限りなく0に近くなるということでもある。話を突き詰めれば(笑)
いやそんなに話を突き詰めなくたって問題解決能力は0になったりしないでしょ、現実的な話じゃないでしょとなりそうだけど、本当にそうなんだろうか。
先日50年前の統計資料を見せられたことがあった。それというのは1970年時点からの30年後、50年後(つまり2020年であり今)の人口統計はどのようになるかが示されていたんだけれど、要するに現時点での人口はほとんどその予想から外れていない、というよりほぼ一致しているというものだった。
これをどう見るか。要するに「へえ~50年前の統計資料でもここまで精度の高いものができてたんだねすごいすごい」というお話になるとすれば(いやまあそういう風に話を進めようという空気感だったわけだけど)これは極めて危うい。要するに現代の人口問題は50年前にほぼ完全な形で予測されていたにも関わらずこの50年間ほぼ何も手を打たれてこなかったということに等しいといえる。これってなにかといえば要するに「問題あるよね」ってのは誰でもわかっていたんだけど「で、じゃあどうする?」となった時に何もされてこなかったってことそのものだと言っていい。
「うーん……じゃあとりあえず保留しよっか」となって会議終了、それを50年間続けてきたのがこの日本の現状だってのをこの資料は明らかにしていた。
でもそれですら本質ではない。そもそもそんなに誰もが怠惰でテキトー、デタラメだったろうか?
「問題解決」の「前提」を思い出すならば、しっかりしているほど問題解決能力は低くなるということだった。しっかりすればするだけ、事態が俯瞰的に見えれば見えるだけ、それに反比例して問題解決能力は相対的に低くなっていくのだと。つまりこれは逆なんだって話。デタラメでやるべきことを子孫にツケとして回すような怠惰さがこの事態をもたらしているんじゃない。しっかりしているがゆえにこの問題は先送りされてきたってことだ。誰もがもうちょっと能力が低く、後先考えずデタラメやるようであれば、そもそも目の前に問題があるんだから片付ける方が楽だったはずだ。ところがこの話はそういうところに収まらない。
要するにこの話の本当の本質は、この問題は解決されては困るということになる。そもそも500年前に硝石欲しさに他国を侵略しそこの住民を奴隷として売買するような国がこの日本だった。100年前は満州やブラジルとかに人を送って移民とかさせていたわけだ。そもそもこの国は人を減らしたいし、増えてもらっては困るという「本音」を抱えている。誰かが言っていたけど、本当に人を増やしたいのであれば子どもができた時点で1000万円渡すという話だって、生涯賃金としては3億になるわけだから十分に元が取れるはず。1000万の投資で30倍の成果であれば十分すぎる。まあそれでも1000万は極端にしても、もっと軽い段階で実現しようと思えば本当はできた。でもできるできないという話でこの話を考えてはミスる。クリアできるからするとか、クリアできないからしないのではない。クリアされては困るから50年間クリアしてこなかったというのがこの問題の本質なんだなと。今までもそうだしこれからも変わらない。問題は「問題」としてあり続ける。
だから問題があるから解決するとかしない、なんてほど単純にできていない。問題がないと困る場合もあれば問題が発生して喜ばれる場合だって中にはあるだろう。その中にはクリアされては困るものもあるし、クリアしない、「保留しよっか」というのが大人の態度っていうのもあるわけだ。
そもそも問題がなくなってしまえば「対策委員会」だって解散せざるを得なくなるだろう。「狡兎死して走狗烹らる」がいかにヤバいものかは先人の知恵でもう誰もが知っている。そうして考えていくと、じゃあ問題は解決しない方がいいよねとなって解決能力を限りなく0に近づけていった結果、様々な問題が山積するようになり、しょうもない問題も巨大な山がそびえるが如しとなりにっちもさっちも行かないことになっているというのが現状ではないかなと。
だからなんでこうなったのかってことに関しては、みんなが賢くなったからだと。賢くなるってことは問題を解決しないことであり、解決しないからクビにならない。韓信だって敵を破ったらあっさりクビ切られてましたから。愚かだからバカだからではなく、人類が賢くなったがゆえの当然の帰結としての問題解決できなくなる事態についてもっと考えられる必要があるでしょうね。
そう考えると、じゃあ本当に問題は解決されてないのかとなる。で調べてみると、意外なほど解決されているものは多くある。結構な地域でもう問題は解決できる方向性はあるし、能力もあるし、そもそもそれは十分解決できるということを知っているし、調べようと思えば結構相当出てくる。でもそれは問題としてあり続ける。下手すれば「大問題」を隣町は解いているのにこっちの町は解いていない。解き方が分からーん、なんてことがあったりする。
例えばコロナ対策だって台湾のやり方が大きく取り上げられているけど、じゃあ日本はどうかと言ったらグダグダだったりする。コロナを防ごうと言いつつGotoしていたりする。コロナを消滅させる気があるのか経済を回すつもりなのかといえば、まるでコロナを広めつつ経済を縮小化したいかのようにすら思えたりもする(まあこれは本当にコロナを広めたいんだろうなと思うし、競争力のない中小企業は潰すと明言している以上は潰すいい機会だということでもあるのだろう。最大限にコロナを「活用」しようとしているように見える)。
ただ、本当に最高の対策が日本は取れないかといえばそんなことはない。たくさんの例があるし、この程度を台湾と同程度きちんと行うことは本当なら日本はお得意だったはずだ。
これも結局は問題解決ということに繋がっていて、あまりにも素晴らしい問題解決をするというのは日本では消される可能性があるということに繋がりかねない。それこそコロナがなくなっては「対策委員会」は仕事がなくなってしまう。そういう事情は日本だけでなく世界的に見ても多々あるだろう。あくまでどこかで見たウワサだが、ガン関連の技術はもうとうの昔にすごいレベルまで上がっているんだけど、それでガンがなくなるとおまんま食い上げになる製薬会社の事情がある。そうなると困るから敢えてレベルはある一定の水準で抑えられていると。どこの世界もこういう事情はありそうだなというお話ですね。
だからああいう人事のできる台湾の方が異常なんだけど、でもこの先はどうなるかわからない。あまりにも非凡な成果を上げてしまったために疎まれたり危険視されるか、あるいは「英雄」になってしまうか。それこそ対策委員会はもういらないでしょというぐらいまで成果をあげてしまったがゆえに、第二の(?)韓信になる可能性は大いにあると思う。
だからこそ問題解決ってのは諸刃の剣、どう転ぶかはわからないし、いい方に転んだからと喜んで眺めてはいられないってのはあるのかなと思ったわけです。
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