生きることと呪われるということ






 夜中にふと思ったので書くことにする。
 高熱が出たかと思えば止んで、止んだかと思えばまた出てくる。
 身体がガクガクしつつ、意識が時々なぜか飛びながらこれを書いている。


 もしやこれはコロナじゃないかと思っていたが(まあ妥当でしょう)、でも明らかに何かいろいろと違う。
 そうしているうちに口の中に膿が出始めることに気づいた。それを出すとスッキリする、だから針を突き刺す、突き刺すとどっと膿が出る、その膿の味が痛みからの解放であって。どうも相当な量の膿が体内に、というより顔中にあってそれで顔がひどく腫れるらしい。といっても見た目にはわからない。自分の中ではこれもう顔面が破裂するんじゃないかという感じがしているんだけど。そのあ、これは破裂するなヤバいぞという感じが減るという安心感も大きい。
 まあこれは相当な膿による症状だろうなと素人なりに見当をつけているんだけれど、まあでもオレ病院で診断がついたことが滅多にないから
(笑)、本気で異状なしになりかねない。そっちにあまりに慣れているので最悪もうこれは自分でなんとかするしかないなと。突き刺せば膿が出るんだけど、だからといって「正常ですけどね~?」という医者さんに「とにかく突き破ってください!」というのも酷だろう、となるともう自分でやるきゃないではないかと。いやいやさすがにわかるでしょ? と言いたいけどあまりに「異状なし」なので、まあ1%くらいかなと見当をつけている。顔面崩れても死ぬよりゃマシだろうと。今の症状はだから体中にこの大量の膿が回っているせいで起こっているんだろうなと見当をつけている。
 そう、5歳の時になんかあって右手の小指かなんかがひどく腫れて痛んだことがあった。あの時はもう夜な夜な歩き回って、廊下の冷たい床に指をつけて冷やして寝入ろうとして、それでも痛むもんだからまた冷やす、みたいなことをやっていたもんだった。確か一週間くらい。5歳のくせにえらい苦労してんな(笑)
 あんときは婆さんに針で突き刺してもらった、そうしたら驚くほど膿が出てきたんだが当時のオレは「白くてでかい虫」が指からでてきたと思ってビビッて泣いてたっけ。いやそれほどけっこう大量の膿が出た。そのうち血が出始めて赤くなって、それで痛みも急速に引いて妙に安心したのを覚えている。
 なんか今回はそれにひどくよく似ている。
 「30年前の自分に宛てる手紙」とかあったとすれば「30年後もお前は同じことで苦しんでるぞ」という内容になるだろう(笑)
 「鍼治療」とかあるけどまあまさにそれやってるよなあと思う(笑)



 それにしてもこの病院にかかる多さと次から次に表れてくる症状、そして繰り返される「異状なし」の連続をみてると本当にオレはまともなのかと。痛みを感じているオレの方が間違っているんじゃないかと思えてくるほどで。実際に針なんか取り出して突き刺しては一息ついている、これを見て「オレはマトモだ」と思えるとしたらよほどかわっているとしか言いようがない。一言で言えばまあ我ながら呪われてるよなあ、と思う。いや確かに膿の味なんだけどでもそれは本当に膿なのかい? となったらちょっと自信がない(笑)


 でも呪われているってのはそんなに悪いことなのか?
 何かがオレを呪っている。死ねばいい、苦しめばいいと悪霊がオレを祟っているんだろうか。悪霊、悪魔、亡霊、なんかそんなものがオレにくっついているかもしれない。オレも2~3回お祓いも行ったけど(笑)
 でもじゃあ「一生平穏無事、呪われないことがいいことだ」なんて価値観をオレが持ってしまったとすればそれは本当の意味で呪われていると思う。それは目的なのか。一生かけてじゃあ80とか90とかまで冒険もせず平穏に暮らして余計なことをせず、邪悪どころか「神聖」のかたまりとして聖人として一生自分にチリがつくことをしない。オレにとってはそっちの方がよほど邪悪で呪われているように思えるんだよな。しっかりしているということの意味もわからないではないけれど。
 そう思っているということはオレはその時点でけっこう呪われている。まあとりあえずそっちと相性はいいらしい。やるべきことがわかっていながら「オレには関係ない」と生きる人生と、解決するためなら悪魔にでも魂を売る人生があるとすれば、オレは悪魔に魂を売れる人間でありたい。


 それってのは「イノシシを殺す」場面を見てオレが感じたことでもあるんだろう。
 人間ってのは本質的に卑怯だ。
 安全圏にいながら自分たちは被害なく、相手への被害を最大化しさらには相手の肉を食らう。
 完璧な作戦に近づけば近づくほど人は卑怯で狡猾になっていく。
 でもその認識を受け入れることができない。
 俺たちは悪くない、仕方なかったと正当化する。
 人はこうした殺戮を取り巻く何重かの概念の厚みを生きるために常に必要としている。
 そういう人間のせこさ、卑怯さ加減、卑劣さ、そういうところに立ちたい。
 人間の本質は邪悪だと思うけど、その邪悪さをどう処理するかというその処理においても邪悪。
 でもそれというのは所詮「あのカラスは白いよ」と言い聞かせるような生き方であってそのひずみは随所に現れてくる。そのことに罪悪感や慙愧の念を感じないならば、それはさらに大きなものとなる……
 オレが見極めたいのは、そうしたことを通したところにある人間の本質に迫る邪悪な何ものかなんだろうと。オレは多分その邪悪さの美、邪悪さの固定美? 様式美? みたいなものにひどく魅せられてるような気がする。
 邪悪さにある美しさ……なんだろうな。


 一生呪われもしない、恨まれもしない人生ってそりゃ望ましいかもしれないけど、敢えて立てるべき目標じゃないなと。
 見えていること、考えている計画、自分の判断に従った先で呪われたとすれば、それは悪くなくないかと。そりゃまあよっぽど悪いことしたならともかくとして、見えているのであれば直線作って呪われて死んだら本望じゃないか。呪われない生き方はある、でも呪われている。呪われているということは正しいということだ。
 正しい。
 正しいがゆえに呪われなくてはならない時もあるということだ。


 しかしまあそうなるとつまりどっちを選んで呪われるかであって……ああどっちを進んでも呪われているのか(笑)まあこれだと呪われるはずですわな(笑)そりゃあ呪われもしますわ(笑)
 どちらを選ぶかでより満足度の高い呪われ方の方をオレは希望しているという(笑)
 うーん、この状況オレの当然の帰結のような気がしてきたぞ。








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