朝。
起きてみると枕元に人形とジュースが。
昨日の往人とのそれというのが夢のようにも思えるけど、でも間違いなくあったことなんだなと。これは再確認ではなく再々確認なんだけどそれでも実感がない。
で、観鈴は「一人でもゴールまでがんばるということ」が大切なんだと意識している。
・ここから話が厄介な方向に進んでいっていて、観鈴の中で一人でもがんばらないといけない、一人でがんばることが大切だとなっている。つまりそれは晴子の手を振り払うこととほぼイコールになっていて、それでも一人でがんばろうという決意をしている。でも往人はそれが重要だと果たして言っていただろうか? 往人の、しかもカラスとなってまでしかも二周目でわざわざ本当に伝えたいことがそれだとはならないのではないかと。あれだけ散々「そら」となって晴子の悩みや葛藤を見聞きしてきたわけだから。
ところが観鈴の中では「そう」なってしまっている。観鈴には少し勘違いする節があって、往人が「俺出ていく」と言った時にも「そうか! 旅について行けばいいんだ!」と閃いている。その後「俺はこの家を出ていきたいわけじゃない、お前から離れないといけないんだ」と突き返されている。
・ここでも一人でがんばらないといけないと考えた観鈴がいる。それというのは「俺はいつでもお前と一緒にいる」という往人の言葉があってのものだと言える。つまり観鈴は一人で頑張ろうと思っていたけど、でもそれというのは往人も応援しているのだと、それを感じているからこそのセリフではある。でもそれがじゃあ「晴子の手を振り払え」となるとこれは少し違うんじゃないかなと。
確かに近くなると往人のようになんかよくわからんけど背中が切り付けられたりというのはある。だから「適切な」距離感を保つことは重要となるわけだが、その「適切さ」を探すよりはいっそ完全に手を切って遠ざかった方がいいじゃんとなる。じゃあ観鈴一人で孤立したまま寂しい思いをしていけば誰も苦しんだりしない。
だから観鈴の中では「一人で」「ゴールまで」がんばることが大切だとなっている。下手に手出しをすれば往人に代わって晴子が痛めつけられたりとなりかねない。この11話の始まりの時点では、観鈴は間違いなくそうした「勘違い」の上に成り立った決意をしている。手を振り払って、一人でもゴールまでがんばるんだと。もう誰も痛めつけられたり苦しんだりしないようにするんだと。
・自販機のジュースのボタンを押す晴子。
そらの内心。
「あの人だ。
この間まで僕たちと一緒に暮らしていた人。
誰だろう。
この人のこと、ぼんやり覚えているような気がするんだけど……」
あれだけ間近で晴子の葛藤とか見聞きしてきたのに、ちょっと会わない間にほとんど忘れたかのようなそらの内心。
これではなんのためにカラスになったか、なんのためにいろいろ見聞きして経験してきたか分からないほど。
「うちもずっとがんばってたんや。
観鈴をずっと神尾の家に置いとけるようにがんばってたんや」
これを聞いて「え?」と答える観鈴。
明らかに意外といった感じ。
これを考えるに、どうも観鈴が「一人でがんばる」と言った時の選択肢の一つとして漠然と神尾の家を去って橘の家で暮らすということは考えられていたよう。
そうすれば晴子に問題は降りかからない。そして自分を捨てた実の父親である敬介に直接災厄が降りかかるかどうかはわからないが、かりにそうなったとしてもだからどうだというのかという状況に持ち込むことができる。そう思うとどこまでかは分からないが橘の家に行くという方向性はこの時からある程度出てきていたのではないかと。
・晴子は距離をずっと取ってきたことについて語る。
「あんたを好きになってしもたら、別れるのが辛いやろ?」
そして晴子は自分の側から観鈴に距離を近づけることを決意した。そして見事に橘の家から「養子」にする許可をもらうことになる。……まあ、観鈴を長いこと押し付けといて許可を与えるもくそもないような気もしないでもないが、ともかく許可を得た。
そうしたら観鈴は言う。
「……そんなこといいのに。
私一人でがんばるって、もう誰にも迷惑かけないって決めたのに」
どうも違和感がある。というのは上記の通り。
往人がそらとなって一生懸命やってきたのは晴子の実情とかをしっかりと把握するためではなかったのか。
そして往人は「がんばろうな」と言った。
ところが次の日それを振り払うかのように見える観鈴。これは往人の思いをしっかりと把握した上でなのか、それとも往人の思っていることと違う形で把握してしまったためなのか。
どうもこれが後者のように思える、という話。
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