air10話-4、二回目の発作






 その頃、晴子は観鈴を学校から家まで送って行っている。
 「あんたが発作起こすたんびにいちいち学校に呼び出される身ぃになってや」
 「ごめんなさい」
 「あの居候とおる時は平気なんやろ?
 ようなったかと思たんやけどな」
 「うん……」
 「ほな、うちは仕事に戻るからな」
 「迷惑かけてごめんなさい」


 晴子と入れ替わりに部屋に入るそら。
 「お母さん怒ってたね。
 でもね、すごい速さで学校に来てくれたんだよ。いつもそう。
 往人さん待ってるだろうなあ。
 心配してるかな……
 できるだけ自然にしてないとね。
 うっかり待ち合わせ忘れたってことにするの。
 往人さんには普通の女の子だって思ってもらいたいから」


 ベッドから出て机に座りなおし、ライトをつけて寝る。


 「観鈴、帰ったぞ」
 開けると観鈴が机で寝ているシーン。


 「ただいまやー」
 ふう、と一息ついたところで聞こえてくる観鈴の鳴き声。


 「観鈴が急に!」
 「わかってる……」


 ・往人の前でかっこつけようとした観鈴。
 普通の女の子だと思ってもらいたいと思った。
 でもそれは全然自分が普通じゃないことを把握しているということでもあり、その自覚もあればそう見られかねないことも意識していたということでもある。
 この前は往人がテレビ見ながらお菓子食べていた。そこでいきなりテレビを消し、
 「おい!今いいところじゃねえか!」
 「トランプしよー」と言うタイミング。
 最もいいところでテレビを消す。そして自分のトランプがしたいその方向性に誘う。
 「変に思われたくない」
 「変に思われたらいやだ」
 という自覚と他者からの目線があるのに、一方では最も嫌われそうなテレビ見てるタイミングでいきなりテレビを消すというのは明らかにおかしい。おかしいというより矛盾しているといえる。普通その意識があればそんな行動はとらない。もっと別のタイミングを探るとか、今は我慢するとかいろいろありそうなものなのに、そうしないというのはおかしい。


 ・これの意味するところは何だろうなと思ったけど、観鈴はこの日発作を起こしている。つまり二回目の発作というのは恐らく大なり小なり前回の発作と関係しているとみていいように思う。前回起きたから次まで時間がかかるとも考えられるし、起きているがために次起こるまでのハードルが低くなっているとも考えられるわけだが、そのどちらにしろ前回の発作と無関係とは考えられない。ここではつまり後者と考えたいというところだが、残念ながらその発作の周期などというものを作ることは難しい。というよりそれがもし正しければ三回目も近いタイミングで起こりそうなものでもある。


 ・ここでもう一つ考えたいのが、観鈴はかっこつけているというところである。
 本当は発作があって普通ではない。それにもかかわらず普通の女の子だと思ってもらいたいという理由で机に突っ伏して寝ていた。つまりけっこうムリしていたし、我慢していた。余計なエネルギーを使っていた。要するにかっこつけていた。これが重要だ。
 一方の往人はその事実を知らない。普通に何事もなかったかのようにそこにいるし、当然何事もなかったかのようにテレビを見ている。せんべいをかじっている。全くエネルギーを消費していない。気をつかってない。
 これが許せない。
 そのタイミングで観鈴はテレビを消す、ということは往人に大きな負担をかける。テレビ見ていた往人が普通の状態になってさらにトランプをするというのは、これはけっこうなエネルギーを必要とする。
 つまりは、なんでてめえはエネルギー使ってないんだよと観鈴は言いたい。ムリして普通の女の子を装って、しかも元気なフリまでこっちは装っている、なのになんでてめえは1ミリもエネルギー使ってねえんだよと。自由に振舞ってんだと。不公平だろと思う、それを思えばぷつんとテレビを切って頑張らせる、それによって「対等に」なるべきではないか。


 ・それが意味するのは、「普通だと思ってもらいたい」という観鈴の内心と「なんでてめえはエネルギー使ってねえんだよ」という内心とがあり、その二つのせめぎあいの結果勝ったのが「おい、おまえもエネルギー使えよ」という方だったことを意味しているのではないかと。つまりそれは何を意味するかって、往人に普通だと思ってもらいたいという気持ちを忘れるほどここで観鈴の内に強い感情があったんじゃないかということだ。
 その結果、普通だとみられたいはずの観鈴が往人から普通に見られなくなるというのは皮肉な結果だと言わざるを得ない。


 ・この発作というのは何だろうか。それを一言で表すのは難しい。
 ただ、この状態での往人と観鈴との関係性によって表されているのは間違いない。


 ①観鈴はここにいる、そしてものすごくエネルギーを使っている、普通の女の子だと思われたいとかっこもつけている。その結果ここにいるという状態が維持されている。
 ②往人はここにいるが全くエネルギーを使っていなかった。観鈴に全く気もつかっていなければ特に何も考えていない。何も気づいていない。その往人がテレビを切られることで観鈴のトランプという提案をしぶしぶ受け入れようとしている。ここでものすごくエネルギーを使っている。
 ③こうして二人はものすごく互いに気をつかって 頑張っている、頑張ってトランプをしようとしている。その結果二人とも非常によく似た状態ができあがり、その二人はトランプという作業に向き合おうとしている。
 ④そうしたら発作が起きるわけだが、関係が遠ければ発作は起きないはず。ということはここまでの①~③を通して二人の関係性はある程度、または相当近くなったと考えることができる。しかしその近さというのはどうなんだろう、別に本当に仲良くなったわけじゃない。心の底から信頼し合っているというよりは往人の内心としては「あーさっさと終わらしてえな」というようなその場しのぎのうまさに基づくものであり、形だけ乗り気ではあっても本心は全然違っている。それを言うならば大体テレビをぷちっと切るところからして間違っている。


 ・かくれんぼ、魚とり、海へ行くことなどいろいろなことが示されてきたがこのトランプというのはそうしたものとは性質が違っている。
 それらを抜けた先の「ゴール」というのものがあり、そのために一歩一歩段を上がっていく、ゴールに近づいていくような性質があるとすればトランプは往人のうまさであり要領の良さ、我慢と忍耐、そしてやり過ごす能力によって作られた段だと言える。それは段なんだけど、偽物の段だと言える。本当に目指すべき段はそうではない。
 そうした段を自分一人であれば作ることはできた。心から望むような段を100%満足いくような形で作ることはできた。
 でも他者との共同作業となるとそうはいかない。自分の側は50%であり、それを50%しっかりと作ることはできてももう半分の50%がじゃあどうなるかは未知のものであり不確定であると言わざるを得ない。ましてこうやって往人の我慢と忍耐とによって作られた偽物ではダメなのだ。それを受け入れることは観鈴にはできない。
 ゴールまで一生懸命納得いく道を作っていきたいのに、いきなり偽物がどっと入り込んできた。
 じゃあこの発作とは何かといえば、その偽物に対する拒絶だと言えるのではないか。偽物に対して我慢する、我慢に対して我慢で応えることもできないことはない、しかしそんな我慢の連続を求めているわけではない。本当に求めているゴールとは偽物の積み重ねによってできたものではないのだから。
 本当は誰もがかくれんぼとか川遊びとかを本物で満たしてきたし、だからこそ今やろうと言っても誰もやりたがらない。そんなものはもう卒業してしまった。とっくに卒業してしまった人たちにとってそれをやろうったって遊び半分付き合い半分でやるものであり、まさか本気でやるようなものではない。そうなると取り残された観鈴にとってはそれを同じ熱量で取り組み、ゴールまで向かうことは非常に困難である。この話の本質はそうして取り残されてしまった観鈴がじゃあどうやってみんなと同じような形で一つ一つを卒業できるか、卒業していけるかということにあるのではと。でもそう言ったってあるのは偽物ばかり、我慢と忍耐で付き合わせる以外に攻略する術はない。


 だから「いや、トランプしたいなら往人も協力してやるって言ってるわけだからやりゃあいいじゃん」「なんでやらないのかがわからん」と思ったらここではミスる。
 「渡りに舟」だから渡りましょうよとならないことにはきちんと意味があると言える。むしろ渡れるからこそ渡らない、渡ることを受け入れない、拒絶する。
 そもそもできないのであれば発作など起きる余地がない。できる状態になり、いざそれができるタイミングで、でもそれを受け入れたくない、それを拒絶したいという気持ちが発作へと通名がっているのではないか。




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