セミの入ったベーコンエッグを往人に食べさせる観鈴。
そして毎朝の見送り。
その途中でそらはどこかへ行ってしまう。
「おい、どこへ行くんだ?
……へんなカラスだなあ」
そらはまっすぐ高台の神社へ。
先客がいる。
「さいかお姉ちゃんの病気がよくなりますように!」
迷子だった「しのさいか」の母と妹。
「お母さん、神さまって本当にいるの?」
「もちろんいるわよ。
神さまは今もさいかとまいかを見てるの。きっと願いを叶えてくれるわ」
その間、晴子の投げた恐竜をどうにかしようとしているそら。
恐竜が二人に見つかったので、慌てて隠れる。
「お母さん、これ神様だよ!
一人で歩いてたもん!」
「……まだ新しいみたいね」
賽銭箱の上に持っていく二人。
「ここにおいておきましょう。
ここが神さまのおうちだから」
「うん!」
まいかは手を合わせる。
これを見て、そらは何もやることがなくなったので帰ることに。
つまりそらの願いは恐竜が傷まないようにと屋根の下にでも置いておこうとしたら、運良く通りかかった二人がなんとかしてくれたということなのだろう。まさか家まで持ち帰ろうとしたとも考えられない。そもそも観鈴の誕生日はとっくに過ぎている。それをそらが持ち帰ったからプレゼントというのも変な話。
・①最初に晴子の思いがあった。観鈴のために誕生日プレゼントを渡そう、渡したいという願いがあった。
でもその思いは叶えられることはなかった。思いは挫けて、捨てられ朽ちていき消えていくしかない願いがあった。
②それをそらはなんとかしようとした。だから朝一で神社にやってきた。
③そうしたらたまたま通りかかった二人が神社の中に安置してくれた。
本当は傷んで朽ちて消えるだけだったものがこうして傷むことなく置いておかれることになった。
・この思いというのは元々は朽ちて消えるだけのものだった。敬介のケーキだって本当は渡されることなく消えていくだけだった。でもそれがたまたま往人の手に渡り、観鈴の元へと届けられる。
この人形もそれと同じようにあった。敬介のケーキは別に誰かが食べればいい。自分で食べてもいい。しかし人形はそうはいかない。野ざらしとなって消えていくだけのものだった。
それを思えば「神さま」とは何かといえば実態ではなく仕組み的な何かであるということができるだろうし、具体的な何かというよりは抽象的な存在であるということができるだろう。それを思えば「これ神さまだよ」と言ったしのまいかの言葉は当たらずと言えども遠からずなところを衝いていると言える。②や③といったことが加わってただ朽ちて消えていくだけの恐竜がそうならなくなる。晴子の思いが消えることなく生き続ける。そのために様々な人たちの協力があった、手が加わった、だとすれば「これは神さまだ」という言葉はけっこう危うい精度で、しかししっかりと本質を捉えていると言っていい。
・この直後にみなぎに会うが、華麗にスルーする。
もう一度やり直している以上、そして往人は別にいて問題を解決してくれる以上は、余計なことにかかわっている暇はないのだ。
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