air7話-2、家を出ていく往人





 家に帰ってくる。
 夕べ見た夢の話。
 楽しい夢。夜なのに空がすごく明るい。
 きっとお祭りで、それを遠くから見てる。


 「ねえ往人さん」
 「往人さんが探してる人と私の夢って関係があるんだよね?」
 「さあな。
 関係ないんじゃないか?」
 観鈴としてはこんなに熱心に夢の話を聞くということは何か関係があると思っていたよう。
 というよりこれだけ聞いておきながら関係性を全く考えていないということはないだろう。
 しかし往人はそうだとは言わない。
 心配させたくないのか、余計なしかもはっきりしたものが分からない状態で背負わせたくないし気をつかわせたくないのか。


 「私がいろいろ考えてたどり着いた答え聞いてくれる?」
 「私の夢はもう一人の私なの。
 そして今その子は苦しんでいるの。
 私頑張って夢を見る。もっと夢を見ればわかるかもしれないから」


 往人ははっきり言わないが、「最後の夢を見終わったときにその子は死んでしまう」という母の言葉を考えているに違いない。
 目つきがきつくなる。

 「そうすればその子のこと助けてあげられるかもしれない。
 往人さん、私が夢を見始めたのは偶然じゃないんだよね?
 私、今年の夏は特別だって思った。
 がんばって友達を作ろうって思った。そうしたら往人さんに会えて、夢を見始めた。
 きっと全部つながってるんだよね。
 だからがんばりたいな。この夏を一番幸せにしたいから。
 往人さんと出会えた夏だから」


 立ち上がろうとするが、立てない。
 「あれ……どうしちゃったのかな。
 足が動かない」
 愕然とする往人。


 頭を抱えている。 


 翌朝。
 夕べの夢は旅の夢。
 何かを探す旅。
 森の中を何日も歩いた。
 辛かったけどがんばった。
 大切な人がそばにいてくれたから。


 「私わかってる。
 夢を見るたびに私はだんだん弱っていって、最後は空にいる女の子と同じ……」
 「ばか!
 そんなことあるか!」

 否定はしたけど、往人もそれを母から聞かされて知っている。
 知っているけど否定するということはズケズケととりあえず言う往人にしては気遣いが先に立っているなという印象。


 ・部屋の外へ。
 いやな感覚と、背中を切り付けられた感じ。
 倒れ込む往人。
 妙な物音と気配に気づいた観鈴に起こされる。


 鏡で見ると背中に妙なあざができている。


 ・翌日観鈴が苦しんでいる。
 「大丈夫だから。すぐ良くなるから。そばにいて」
 「でも俺がそばにいると……」
 「大丈夫。そばにいて……」
 表情がきつい往人。

 「どうしてみんな私だけを残して……」
 ぽつりと気になるセリフ。
 何もできないという往人の背中。


 ・翌日。
 一人でトランプをしている観鈴。
 「観鈴……そろそろ出ていこうと思うんだ」
 「え……」
 「これ以上お前といたら、二人とも助からない。
 だから俺はお前から逃げることにした。
 この町を出て、もうお前と出会うことのない場所まで行く」
 「一人で……?」
 「ああ……俺たちは近づきすぎてしまったんだ」


 ・・・・・・


 「じゃあ仕方ないね。仕方ないよね」
 トランプを始める。
 「やっぱり一人でこうして遊んでたらよかったんだよね……」
 「そうかもな……」


 それを聞いて落ち込む観鈴。
 「楽しかった。この夏休み。
 往人さんと過ごした夏休み。」
 「俺もだよ」
 「ほんと?」
 「ああ……」


 ・往人の母親は最後までそばにいようとした。
 しかし「このままでは二人とも助からない」
 というその子の優しさがあって、母親だけが逃げてしまった。
 その結果母親は助かったが、その子は死んでしまった。
 一人で苦しむことを受け入れて、そして死んだ。


 でも往人は違った。このまま近くにいても観鈴は苦しむだけだし、自分もあの……よくわからない衝撃は大きくいまだにショックが残っている。
 基本的にドライな往人にとってこの両方が傷つくだけという状況は耐え難かったろうし、最悪観鈴が傷ついたり苦しんでいるだけであれば優しさを発揮し見守ることもできただろうが、自分にまで被害が出てくる状況というのは耐え難かったのだろう。
 ある意味では「自分が苦しんででも傷ついてでもその子のことを思ってやれるか」という究極の優しさが求められている。そしてそれは往人にはできないことであって。往人はしっかりしている。でもしっかりしていることが同時に救えない、あるいは救わないという線引きでもあって。どこかでそれは無力感にも通じるところがある。
 その意味では、母親から託された往人はその母親以上に不向きな仕事を引き受けたんだなという印象。ギリギリまで粘るどころか、一撃KOされたなという感じ。もうこりごりという。


 ・「やっぱり一人でこうして遊んでいたら良かったんだよね」
 かくれんぼや虫取り、魚とり、トランプ。そして海に行こうとすること。
 そうしたことを観鈴は後悔する。
 最初にそうしようとしていなければ、こうはならなかった。
 最初から何もしようとしなければ、往人とも出会わなかった。
 そうすれば傷つくこともなかったし、往人だってイヤな思いをすることはなかっただろう。
 そう、最初から先手を打って人生をあきらめていさえすれば、誰も苦しんだりしなかった。傷つくこともなかった。誰に迷惑をかけることもなく、ずっと一人で生きてさえいれば。
 ここまで極端ではないけど、人間関係というのは似たような要素を持っている。近くにいれば遠くからではわからなかったこともわかるようになる。見えなかったこともみえるようになる。いやだと思わなかったことがいやに思えるようになる。適切な距離と距離感というのは人間関係に常につきまとう。そして近寄り過ぎれば遠ざけたくなり、遠すぎれば近くを求めるようになり。そうして適切な距離感を探してある程度の範囲で決定する。そういう作用というのは「ハリネズミ」のなんたらを引用しなくても誰もがやってることであって。


 ・観鈴は往人の「出ていく」という言葉を聞いてものすごいショックを受けた。出会いやその間に会ったいろいろなことは楽しかった、しかし楽しければ楽しいだけその分ショックは大きい。もう二度と出会わなくていい場所に行く、もう二度と会わないと唐突に言われることの衝撃。


 ・この全否定という問題は、話やいろいろな要素が違っていたとしてもkey作品の鍵になっている。幸せであればあるほど絶望は深い。喜びが大きいだけ衝撃は大きくもう立ち上がることもできない。
 なのになぜ生きるのか。人はなぜ希望を持つのか。どう希望を持てばうまく悩むこともなく絶望したりもせず生きていけるのか。
 友達を作ろうなんて思わなければこうはならなかったはず、思い出があればあるだけ、親しければ親しいだけダメージが増す、なのになぜ人はそう生きるのか。




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