そうしてみると、みなぎの母親ってのは結局何だったのか。
みなぎのことを捕まえて「みちる」と呼ぶあたりなどちょっとおかしいんじゃないのと思えてくるし、実際知らべてみると「狂っていた」とか「正気じゃなかった」とか散々な言われようである。では本当に頭がおかしかったのか。その頭がおかしかった状態から元の状態に戻ったと考えていいんだろうか。
・そこで考えたいのがその時のみなぎである。みちるが流産し、父親もいない、母親もおかしくなった状態のみなぎは居場所を失って駅前に居場所を求めた。そのみなぎの状態を知ってなんとかしたいと思って登場したのがその時のみちるとなる。そしておそらくはその時期に、どちらが早いかはわからないが大体その時期にみなぎのことを母親は「みちる」と呼ぶようになった。恐らくこの呼び始めた時期に既にみちるは登場していた。
だとすれば「死んだはずのみちるを生きていると思い込んでしまった可哀そうな人であり、ちょっと頭のおかしくなった人」と世間一般からは思われているかもしれないが、その実結構相当鋭い感性で「みちるがこの世にいる」ことを感じていたと考えられる。娘のみなぎでさえも「夢を生きることを選んだ」と言われている。そしてみなぎを「みちる」と呼ぶようにはなっていたが、そのでたらめさは置いておいて、言いたいことは「みちるがいる」ことを感じており、それは娘であり、娘であるがためにみなぎのことをみちると呼ぶようになっていた。そして当のみちるは駅前でみなぎと一緒に遊んでいたわけである。もしもみちるが、そりゃみなぎを支えるために来たわけだから、母親に会ったって別に不都合はないだろうけど、恐らくもし会っていたとすれば「これこそ娘のみちるだ」となっていただろうし、その結果後に実現された「母と娘と友達」という図式は全く違っていたものになっていたに違いない。
そしてそれが分かっていたがためにみちるは母親の前に姿を現すことができなかった。母親はみちるをその繊細なセンサーで察知しており、当然みちるの方でも自分の母親はわかっていたに違いない、だとしてもそれは実現できなかったし、実現してはならなかった。みなぎを支えるためにやってきたみちるがみなぎをかえって追い詰める結果を招いただろうから。
・ところがつい最近、往人が町にやってきたくらいだろうか「ああ、みちるはいなかったんだ」ということに気付いた。それは娘はいなかったとなり、みなぎのことも一緒に忘れ去られる。
そして「何か大切なものを忘れてしまった」と言い始める。
そしてみなぎに出会って、ああ娘のみなぎだわ。忘れとったわと気付く。
とはいえ、ここまででまともな感覚を持ち結構相当鋭いみなぎの母親ということを見てきたのに、表面上を見てこの人は忘れていたみなぎのことを思い出しただけだとみていいものだろうか。そうではなくもう一段深いところにある仕組み的なものが変わった、それが表面上ではみなぎのことを思い出すきっかけとなっていっていると考えていいんじゃないだろうか。
みちるは言う。
「みなぎはもう夢から覚めないといけないのに」
みなぎの話では「キツイ現実を受け入れることができなくて、夢を見続けることを選んだ」のは母親の方だった。
しかしみちるはそう言わない。
「みなぎはもう夢から覚めないといけない」、つまり夢を見ているのは実はみなぎの方であって母親の方ではないんだと。母親は鋭い感性でみちるのことを気づいてはいたが、かといってそれに浸っているわけではない。いることはわかっているがそれを娘という点で=だと錯覚してみなぎだとみなしているだけだ。
一方みなぎはすべて知っている。母親が「おかしい」ことも、自分が夢を見なければということも父親の近況も、そして今会っているみちるが自分の妹であることも。今会っているみちるがとうに死んだ妹であり、明らかにおかしいことを知っていながら遊ぶ。本当はいない、そしていてはならない存在であるみちるが心配してやってくるくらいの異常事態なのに、だからと言って何かをするわけではない。
目を覚ます覚まさないとか、話がおかしいおかしくないとか、そういう段階にない。方や「母親が夢を見ている」と言いながら、そういう批判精神を備えながら自分は「妹のみちると遊ぶ」、つまりここでは批判精神が死んでいる。いや意図的に殺している。浸っている方がみなぎにとって安楽で都合がよかったためだ。
壊れそうなみなぎを支えるためにやってきたみちるが、今やみなぎを安楽ない場所へと引き込もらせている。その根は一貫していて、みなぎのため、みなぎを立ち直らせるためにここにいるのである。だとすればここで去るのは当然の帰結だと言える。
・しかし最後の食卓の場面、母親はみちるに全く気付いていないようだった。それはそうで、ねじれが解消され母親もみなぎも立ち直った状態でみちるのことに気づかれてはならないし、そもそも気づかれたらすべてが水の泡だと言っていい。かといってせっかく実現した(本来は一回も実現しなかったはずのものだが)みちるも含めた三人での唯一の食事で何もないというのでは味気ないのも確かである。
全く気付いていないか、気づいていたけど事情を察して何も言わなかったのかはここでは不明である。ただ恐らくこのヒントはどこかにある。例えば「うちの娘が米をよく食べるもので」と言っていた最初のシーンかもしれないし、ほかの場面かもしれない。ただこのシーンが単純な母親が「全く気付いていない」ではちょっとやりきれないシーンなのではないかと思った。
まあ今の段階では煮詰まらないので今後の宿題としたい。
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