ということで前回はみなぎの父親がクソ親父だったという内容で考えたんですが。でもこれどっかで見たことあるなと考えたら、CLANNADのアフターストーリーの16話とかにも出てきてたなと。
(CLANNADは今後やるつもりがないので出しましたが、ネタバレになるかもしれません(笑)まあ興味がある人はどうぞ。他から引っ張ってくる評論はあまり好きではないんですが。脈絡なくてもそれっぽく語れますからね。でもCLANNADとairってそもそも全然違う話ですから。同じKeyの作品だから暗い歯科根拠がない。それをそれっぽく語れるって非常に簡単なことだし、それっぽい反面、かなりいかがわしいやり方だと思ってます。まあ今回は一応参考にして考えてみようということですけどね。あんまり好きじゃないのでしません)
話としては、主人公が悲劇に遭ってしまうと。それによってすっかり腐ってしまって5年間荒んだ日々を送ることになるわけですが。それというのはこのairのみなぎのくだりと被るし、非常に近いなと感じます。でもこの主人公の岡崎はとあるきっかけがあって立ち直ることを決めます。自分の最低だったはずの父親でも最低限のことはやっていたのに、自分はその父親ほどのこともできていない。「最低最悪」の父親が自分を導く決め手になるんですね。その気づきをきっかけにして岡崎は立ち直ることを決意する。
この間5年間見捨てられていた子どもは「うしお」というんですが、みなぎの立場と非常に近いですね。母親はいないし父親は育児放棄して生きている。父親はある意味で引きこもっているわけです。出会わなければこんなことにはならなかった。一つ一つやって経験して幸せだなとか、喜びがあったとか、その連鎖の先で悲劇があった。すべてが間違いだった。そもそも出会ってなければこうはならなかったんだと。そうやってすべてを否定する。現実をすべて否定して自分にとって都合のいい世界に閉じこもる。喜びが大きければこそ悲しみも大きかった。その世界はもう喜びを感じない代わりに、これ以上の悲しみも存在しない世界です。要するに必要最低限のことは社会でやりつつも、実際には引きこもっているわけですね。
・みなぎの父親も同様です。みちるがこれから生まれてくるという、幸せと期待の絶頂の中で悲劇を迎えた。妻は生きていたのに、父親はもう見捨てて生きることを選んだ。みなぎと妻とを捨てた、その世界を切り捨てたわけです。そして自分は新しい世界を生きていくことを決意する。不幸の最中にある妻と、本来それを支えなくてはならない自分の立場を責任を無視してすべての責任を放棄して逃げることになるわけです。
そして「別の町で別の女性と幸せになったそうです」とみなぎは言います。完全に失敗した、失敗作の過去は切り捨てる。その責任も放棄し、辛いことは全部忘れてなすりつけて、忘れて別の場所で生きていく。それって最低だな、と思えますが、同時にでもこうしたことをテーマにして結構書かれてるんだなというのがわかります。エグイ現実というのを書きたいんでしょうね(笑)
それというのは人として最低だと思えますが、でも同時にじゃあボロボロになった家庭を支えていくのが人生なのか。人生ってのはそれだけなのか。妻がボロボロとなり、娘と一緒に支えていくのが人生なのか。それは当然の義務かもしれませんしそれに邁進する姿は「美しい」と呼ばれるかも知れませんが、実際にやる方はたまったもんじゃない。もはや介護の世界ですね。虐待したり育児放棄したりということが多いですけど、そんなめんどうなことするくらいだったら楽しい辛くない人生を生きたいというのも人だなと。最低だと言われようと、後ろ指指されようと、この親父さんは見捨てることを選んだ。
そしてその結果再び普通の幸せな家庭を得ることに成功したわけです。人生のリセットに成功した。そして新しい奥さんを得て残りの人生をハッピーに過ごしました。めでたしめでたし。
……と、果たしてそうなるものなんでしょうか。本当に話はそんなに単純なものなのか。
・その先でハッピーになりました、といって過去を完全に切り離して考えられるような人間であるなら、恐らくとんでもないクソ野郎ですよね(笑)血も涙もねえというか。そういう感性の人間に果たしてそういう幸せがやってくるものなんだろうか。恐らくはまた都合の悪いことに直面して3人目の女性のところに行くというのが関の山でしょう。CLANNADの岡崎でいえば「渚は死んだけどまあ別の女とやり直せばいっか」というさっぱりした考え方の持ち主であればそもそも話にならないんですよね。
でも恐らく話はそういう風にいかない。人生の喜びや悲しみ、いろいろなことがあるでしょうが時折その切り捨ててきてしまった過去のことを思い出すはずです。そしてそのたびにもう取り返しがつかないという苦しみが起こり、疼痛が起こるはずです。ああ、せめてこれくらいのことはできたんじゃないか、もう少しなんとかできなかったのかと。人生の喜びは常に目減りし、悲しみは増すばかり。この父親は確かにラクな選択肢を選んだように見えますが、実際はそう簡単ではなく、そうした後ろ暗い要素を常に抱えて生きていかなくてはならないということを選んだとも言えないだろうか。その苦しみというのは、それこそ娘と一緒にがんばろう、母を支えていこうと決めたというような生き方よりもはるかに複雑で厄介です。何しろもう何もできないんだから。はっきりと見捨ててきたし、一切関わらないことを決めたわけですから。言ってみれば一生毒の状態のまま生きることだと言ってもいいんじゃないですかね。100のダメージを恐れて、100歩で1ずつ体力が削られることを選んだ、それというのは果たしてどちらの方がダメージが大きいかと言えば後者の方でしょう。一生で20000とか削られるかもしれません。
まあそれはもう想像の話ですから。本当にきれいさっぱりと忘れて幸せに生きている可能性もなくはないですし(笑)
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