駅で起きる往人。
「おはようございます」
みなぎの顔のドアップ。
ガスコンロ等一式揃っている。朝食も出来上がりつつある。
「……オレよりお前の方が旅には向いているのかもな……」
やってくるみちる
「……お願い?」
「うん! みなぎが返ってくるようにって星の砂にお願いしたの!」
このにぎやかな様子を建物の陰から聞いている観鈴。往人の場所を知ってて、いつも通りに起こしに来たかのよう。
しかしこの「間に合ってる」感を感じ、寂しく佇んでいる様子。
さらには「朝飯」の話。表情が辛そうになる。
何も言わず、そのまま立ち去る。
「今朝はどうして待ってなかったんだ? 迎えに行ったんだぞ」
「うん……ちょっと用があって。ごめんね」
観鈴に一体何の用があるんだ。
と言うよりおそらくはウソだなと恐らく思ったろうが特に問い詰めるわけでもない往人。
「ま、いいけどな」
「……例の夢はまだ続いているのか?」
「うん、夕べはね、夜の森の夢だった。
森の中で誰かと話してるの」
「森? 誰と」
「わからないけど、誰かが寄り添ってくれてた。
その人に『海』って何だって聞いた。(ここで険しくなる往人の目)
そしたら教えてくれたの。海のことたくさん。
話してるだけですごく楽しかった。
言葉を包んで、いつまでもしまっておきたいって思ったくらい」
「……そんなに楽しかったら、ずっと寝てろ」
突き放すような言い方だが、みすずを突き放すというよりは意味が分からな過ぎて考えるのを放棄したかのよう。
「がお……」
叩く往人。
「痛い……」
駅前。
扇風機で涼むみちると、本を読んでいるみなぎ。
往人がやってくる。
「おかえり~!」
「ただいま」
「お疲れさまでした」
「お人形の芸はいかがでしたか?」
「いや、まあ……ダメだった!!!」
「なんだよ。国崎往人の甲斐性なし!」
なぐられるみちる。
いつもの光景。
みなぎの膝枕で寝てるみちる。
「……遊んで食って寝て。うらやましい身分だな。本当に」
「……夕べ、父の夢をみたんです」
「親父さんの?」
「昔、父と一緒によくここで星を見ていました。そのころの夢です」
みなぎの回想。
父親の声。
「みなぎ。星にはね、その一つ一つに神様が棲んでいて私たちを見守っていてくれるんだよ。
そして星を見つめる人の心をきれいにしてくれるんだ」
「……それからしばらくして、父は出ていきました。妹を亡くした後、父と母は折り合いが悪くなって……」
「親父さんは今……」
「遠い町で別の女性と結婚したそうです。
その別れ際に父がくれたものがこれ(星の砂)なんです」
星の砂を取り出したみなぎ。
それをじっと見つめる往人。
海。
かもめがいる。
みちる
「ねえ、仕事しなくていいの?」
「ピコ―」
「今は一休みだ」
海を見つめる往人。その背中にもたれているみちるとその頭の上にいるポテト。
「ねえ……みなぎ今家出してるでしょ?」
「あぁ?」
ポテトも冷や汗かいている。
聞きにくいことをズバッと聞くやつだなという感じ。
「隠してもわかるよ。みちるは親友だもん。
やっぱり、このままじゃダメだよ。
みなぎはもう夢から覚めないといけないのに」
みなぎの話では「夢を生きることを選んだ」のはみなぎの母親の方だった。
流産したショックから現実を受け入れることを拒絶し、夢を見続けることを選んだんだと。
しかしみちるの話では「夢を見ている」そして「夢から覚めないといけない」のはみなぎの方。
優秀だししっかり者のみなぎが「家出」していることが「夢」なのか。
帰れる場所を駅前に持ち、疑似的な家族「ごっこ」をし、居心地のいい関係を続ける。
過去の話をするみなぎは、みなぎの中では「父親」ですらいまだに家族の一員のままなのかもしれない。
現実を受け入れることをやめて、将来も夢も捨てて、全てが心地よい「今」という時間、そして空間に逃避して浸っているのはみなぎの方なのかもしれない。そう思わせるような、本質をえぐるかのような言葉。
母親は「そう」だったかもしれない、だとしてもじゃあみなぎも「そう」であっていいという理由にはならない。
そしてそれらを正していくことは恐らくみちるにとっては……
「……それ、どういう意味だ?」
「みちるは先に帰ってるね。じゃあね。ピコ(ポテトのこと)」
「お、おい」
「また後でね~!」
走り去るみちる。
取り残される往人とポテト。
歩く往人。
診療所前。
「すいませんでした。お手数をおかけしまして」
「いいえ。
また何かありましたら遠慮なくいらしてください」
「はい……」
みなぎの母親と、聖。
みなぎの母親は往人の横を素通りしていく。
気づく気配もない。
往人も合わせるが、横を去った後に
「全く気付かないな」
と思っているかのように振り返る。
「思い出しかけてる?」
モップを持っている往人。バイトに入ったらしい。
「ああ。何か大切なものを無くしてしまったと言っていた」
「それで診察を受けに……」
「あの人にはいずれ見つかった時に思い出せるだろうと答えておいた。
後はみなぎさんの気持ち次第だ」
何かを決意したかのような往人。
駅前を掃くみなぎ。
楽しそうな表情を浮かべている。
「みんな」の「帰る場所」をきれいにすることが嬉しそう。
往人に気づくみなぎ。
「お帰りなさい」
毅然とした表情の往人。
「……どうかしましたか?」
「俺な、この町を出ていくことにした」
「えっ……」
凄まじい衝撃を受けたかのようなみなぎ。
それはつまりこの場所を解体する宣言でもあるということ。
みちると三人で楽しくやってたのに、ここが居場所となり始めたと思ったのに。
その度合がさらに高まったのはみなぎの方だっただろう。
「お疲れさまでした」が「おかえりなさい」になっている。ここを掃除したってどうしようもない。誰も来ない駅を掃除したところで、誰が喜ぶでもない。
完全な内輪の満足。いや、それだけではない。思い出をなぞり、心地よい過去と心地よい今に浸っていたのはみなぎの方だっただろう。都合の悪いものはすべて見ないで、最高の環境に浸って。父親だって、思い出の中ではいつまでだって家族のままでいられる。「妹」だっている。
それはつまりみなぎが駅に引きこもっているということなのだ。完全に充足した環境で、いくらでも生きていける。電気も出るし、シャワーも使える。
でもそれはみなぎの人生を、これからを、将来をすべて食い潰していくことではないのか。
駅を掃いているみなぎは確かに「なぞっている」、それというのはつまり華やかなものを感じている耳なし芳一のようなものであり。華やかな過去をなぞることが未来を食い潰すこととイコールであること。いや、いっそ未来を平気で食い潰すことができる免罪符のようなものであり。
「それじゃダメだよ」と思ったのはみちるの優しさだったのではないか。
そして往人の優しさでもある。
「お前はここを居場所だと思っているかもしれないが、オレはそんなこと全く思ってないからな」
「時が来たから、ここを出ていく」
それをきわめてドライにみなぎに告げる。
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