世界観の違い





 今日書こうかなと思ったけど集中したいことがあるので止めた。とにかく集中すべき時は集中してがーっとやるに限る。


 今日いろいろと思いついたけど、ゴキブリの話とか誰も聞きたくないと思うので、今日は書かないけど私は書きたいのでまた今度書こうっと笑
 それはさておき世界観ってあるよなあという話だ。90年代の世界観って漠然とあってそれはリアル系ではなくスーパー系なんだなとふと思った。つまり、起承転結だの筋道だの論理立てて……というのを最も大切にしているような世界観ではない。それどころか、おもしろさとかハチャメチャさとか、夢や希望を描くためならリアルではあり得ないようなことを平気で誰もが夢見ていた気がする(多分)。でもそうしたバカであり得ないことの先に我々はごたまぜにして夢や希望を見ていたような気がする。
 それと比べると今はかなりリアルよりだと思う。そりゃかつてみたいなスーパー系なことは全く起こらないわけではないけど、でもそれはあくまでリアルという前提あって初めて展開される。
 我々は地に足を着けて生きていかねばならないし、地から足を離して生きていくことなどできない。まるでそのことはそれを言おうとしているような気がする。言わなくてもいいけど、でも敢えて我々はいちいちそこでそのことを再確認させられる……我々が生きているのは紛れもなくこのリアルなのだと。
 そうじゃない例などいくらでもあると思うけど、そうしたスーパーな内容っていうのはスーパーではなくて単に地に足着けるのをやめてみましたみたいな、それより重要なのは揚げ足取りであって揚げ足取られないような内容を展開してみたらスーパーっぽくなってんじゃね? というような空気感がある。要するに好き勝手言うにもやるにも制約が多すぎるのだ。その制約を鑑みた上で展開されるそれがスーパー系っぽく見えるという気がする。


 さて。
 昔は良かった、というほど良くはないと思うけど。90年代とか経済的に見るといくらでも問題の出てくる時期でもあるし、今ぱっと見ても決していい時代だとは言えない。
 とはいえ荒唐無稽を荒唐無稽として描ける世界観がある気がする。今もそれは描けるし描けないことはないけど、でもあくまでそれは地に足着いた上で、低い天井の閉塞感を見ながらどこか鬱屈としながら生きるのが当然というような何かを感じる。あくまで個人の印象でしかないけど、これはなんなんだろうなあ。
 当時がオレががきんちょで今がおっさんになったからそう見えるものなのか。誰もがそう見えているものなのか。なんかふと急にそんなことを思いついた気がしたので書くことにした。








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