3点の答案






 なんか朝からふと思い出した。


 こういう話があったなあ。
 個人的にこの人のことかなりすげーと思っている。時々どっかで書いていたけど、私もソマリアに行って海賊なんてこの時代に本当にいるんだろうかと思ったけど確かにいた。それを見てきたからすごい実感がある。
 そしてその時思ったのは、じゃあオレに一体何ができるかと。
 殺し殺され、奪ったもん勝ち。船を奪えば10億とかも目じゃない。
 「しょーもない人生を生きるくらいなら、命を懸けて10億をゲットする方がマシだ!!」といわんばかりに当時海賊行為が横行していた。
 そしてそういう「英雄」と結婚したい現地の女性たちもいた。
 殺したもん勝ち、奪ったもん勝ち……金があるやつが正義、勝てば官軍、死んだら敗者……こういう現状を前にして、一体オレに何ができるんだろうかと思ったけど、防ぐことに全力で当たるほかない。別にそれ以外でできることもないわけだ。
 それは仕方がないことだったんですよね。
 たかが一人の人間、ちっぽけな人間にできることなんて何もない。
 自分のやるべきことをやるので日々精一杯。
 そうしているうちにそれが当然となり、疑問をはさむことすらなくなっていく。


 そうしたときにこのニュースを見て結構な衝撃を受けたのを覚えている。
 衝撃ってのはそりゃそうだ、オレもその現地を見て、現場を見て、こりゃもうどうしようもないと思った人間だった。お手上げ、こりゃもう変わらないとか思っていた。
 でもこの人は違ったわけだ。
 それがビジネスだろうと、利得行為だろうと、売名行為だろうとだ。
 この人はその現場を見て自分なりの答えを出せていた。
 少なくとも「よくあるニュースの一つ」として流して消えてしまうということはなかった。それだけで十分稀有なことだと思う。


 それはきっと100点中20点とか、5点とか3点とか浅知恵だとか馬鹿だとか現地のこともよく知らないでとかいくらでも叩きようがあるものなんだと思う。
 でもそうではないと思うわけだ。
 その事態を見て、こうじゃないかと考えられて、少なくとも頭の中に留められて、動けて、で実際にある程度の結果も出せる、それというのは一人の人間として尊いことなんじゃないかと思ったわけだ。少なくともオレにはそういう答えをだすことはできなかったし、そこでできないと固定化されたオレの頭にはその後もそれ以上の答えを導き出すことは不可能だっただろう。



 人って生きていれば様々な答えを要求されることがある。
 「今のは100点に近かったんじゃないか?」
 なんてのは滅多にないことで、
 「あー50点だな。あーしとけばもっとよかった」
 とか
 「今のは3点だ」
 とか
 「しまった……自分の全力を尽くしたけど、でもそれでも0点だ」
 とかそういうことばかりだ。
 そうなると本当にビビってしまって、30点取れるところでも答えを出すことができなくなり、その結果答案を白紙で出してしまうような……そういうことばかりだなと思う。わかっていても、できると知っていても、答案を出す能力すらなくなってしまう。そんな自分が嫌になり、絶望し、気づけば白紙の答案を出すことすらできなくなってしまう。


 それは仕方ないと思うし、しょうがないと思う。人間なんだから。答案を出した人間を見てバカだと言っていれば人生快適に過ごせるんだから。賢いといえば、答案なんか出さない方が賢い。
 でも時々思い出すのだ。
 こんなクソみたいな明らかに叩いてくださいといわんばかりの答えを出したヤツがいたなと。
 いかにも叩いてくださいと言わんばかりの答案なんだけど、それは実に愚かしいことなんだけど、でもその愚かな答案を出せたということがいかに尊いことか。
 3点かもしれない、5点かも知れない。面と向かってバカじゃねえのかと言われたかもしれないし、そもそも大半の人には見向きもされなかったろうが、それでもこの愚かしさこそが人間にとって実に尊いことなんじゃないだろうかと。3点の答案でも出す自由がある、そういうことがどれだけ尊いかを思うのだ。
 オレは答えをだすことすらできなかった。
 それどころか答えを出す方向性すら持てなかった。
 ただ事態を見て困惑して手をこまねいているだけの人間だった……そんな人間にとってこの答えというのはえらく輝かしく見えたもんだった。あの事態に対して答えを持てるのかと。



 5年くらい前だろうか、このニュースを見た時に敬意を表したいような気持に駆られた……そんなことをふと思いだしたので朝っぱらから書いてみたという話である。






この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

人気ブログランキング