菜根譚38、悪中の善、善中の悪(劉備と呂布はよく似ているのではないかという話)






 「悪事を為して人に知られることを恐れるというのは、悪中にもなお善路ありと言える。
 善事を為して人に知られることを急ぐというのは、善といえども悪の根源であると言える」


 ・もしもですが、いいことをして人に知られることを気にしないというのなら恐らくは巨善とでも呼べるとは思いますが、悪いことをして人に知られることを全く恐れてない、悪びれる様子が全くないんだとしたらまさに巨悪そのものだなという感じがしますね(笑)そういう意味で、人に知られるか否かを気にするというのは水に薄めるというか、ボカすような意味合いが結構あるように思います。リトマス試験紙じゃないですが、人に知られるか否かを気にするということにはそういう意味での試験紙みたいな意味合いがあるように思いますね。そういう段階で留まるなり思案するなり迷うなりしてくれるというのは、軽度に収まる気配がある。
 しかし、もしもそうでないのであれば、これはとどめようがない厄介さを孕んでいる可能性があると言っていいでしょう。


 ・劉備という人を考えてみるに、例えば三国志演義とかでも主人公だと言っていいでしょうし大抵の三国志作品では主役とはいかないにしろ主役級で扱わないわけにはいかない人物でしょう。漢王朝に連なる劉姓であり、むしろを織っていたただのむしろ織が黄巾の乱討伐に参加し、活躍をしていき次第に大勢力となり、とうとう蜀漢の皇帝にまで上り詰める様にはドラマ性が濃厚にあると言っていい。もちろん曹操も取り上げないわけにはいかないわけですが、劉備なくして三国志は成り立たないと言っても過言ではないでしょう。


 ・ところでこの劉備ですが、「義理堅い」というイメージとは別によく見ると多数仕える相手を変えています。
 公孫瓚の下で働いていたと思えば徐州へ行き、陶謙のところにきて働いていたかと思えば曹操の下へ入る。かと思えば曹操暗殺計画に参加し今度は袁紹の下へ行く。かと思えば劉表のところへ行き、今度は荊州を取る。そして「張魯に攻められて困ってるんですよー」という劉章の誘いを受けて益州に入り、気づけば益州を乗っ取って劉璋から奪った益州で国を建てます。そして蜀漢の皇帝になると。
 これだけあちらこちらに行きながら義理堅いというのも変な話といえば変な話でしょう。呂布なんて丁原を殺して董卓に仕えたり、その董卓を殺して独立したりしていたわけです。これで「野心の男である」という評判のついた呂布に比べ、なぜこうも劉備は義理堅いという評価になるのか。


 少し見方を変えれば、曹操を暗殺しようとするくだりや、劉章のいる益州乗っ取り計画など呂布とそこまで変わりがないようにも見えます。というよりそういう見方が全くなかったとする方が不自然ではないかと。助けてくださいと助力を求めた劉章を助けるために益州へ行き、気づけば完全に乗っ取っているというのは、どう見てもおかしい(笑)居候が気づけば母屋を乗っ取ったという話と何か違いがあるのかと。


 他にも呉から「借り受けた」荊州をいつまで経っても返すことがないとかもおかしい。益州を取ったら返すと言い結局返さない。さらには北の涼州を取ったら必ず返しますと呉に告げるくだりなど、呉を小バカにしていると言ってもいいでしょうし、事実それで腹に据えかねた呉が荊州奪還計画を立てたがために関羽は死んだわけで、そこで
 「関羽を殺した呉は許せん!」
 と義兵を起こして呉を討伐しようというのが少し話がおかしくないかと(笑)まあこの話を主導していたのは諸葛亮なんですけど、荊州を返したくない気持ちはよくわかりますが、それにしても呉との関係をちょっと軽視し過ぎてないかと思えます。どう見ても外交に失敗して信用をすり減らしているようにしか見えません。それで後々夷陵の戦いで劉備の大敗を招いたとすればかなり自業自得な面があると言えます。
 呉からすれば劉備の「勢力としての足場を作るために」貸し与えた荊州を、約束を違えてずっと居座り続ける劉備一行ですが、益州へ助力に行ってそのまま乗っ取ったように、荊州も「ずっと借りてます」という感じで乗っ取る気満々だとしか思えなかったんじゃないかなと。なにしろ益州を乗っ取った前科があるわけで(笑)


 そうやってみていくと、劉備と諸葛亮のやってきたことって山賊まがいかつ計画に粗雑なところがかなりあるんじゃないですかね(笑)少なくとも、ドラマとして我々が客観的に見る三国志と、三国志の作中で劉備らと当事者として接する、例えば劉章や孫権の気持ちは大きく違っていたに違いない(笑)
 曹丕は、「劉備は戦を知らん」と評した直後に夷陵の戦いでの劉備の大敗があったようですが。
 同じ感じで「劉備と諸葛亮は信用とか外交を知らん」と我々は結構言っていい立場なんじゃないかなと思います。荊州を失い、夷陵では大敗し、結局計画に大穴を開けたのは魏との関係ではなく、呉との同盟関係のもつれだったわけです。常に背中を負かせた呉にしてやられてるわけですが、呉からすれば蜀なんぞ信用できんと。
 その災いの種をまいてるのは、他ならない劉備と諸葛亮なわけですから。


 ・冒頭に戻りますけど、
 「悪事を為して人に知られることを恐れるというのは、悪中にもなお善路ありと言える」とありますが、この範疇に収まらないのが呂布であり、そして劉備だったんじゃないのかなと。二人ともなんだかんだ言って悪事をなしても他人や天下にどう思われるかを結構恐れていないし、その他人からの視点というのが結構希薄というかあまりよく考えられてない節があります。これは言ってみれば巨悪の範疇にあると言えるのではないかと思います。
 呂布は「オレほどの豪傑をまさか誰も殺さんだろう」と思っていたら殺されますし、劉備も諸葛亮も呉を舐めていたら怒りを買って荊州を失い、さらには夷陵での大敗を招いていると。せっかくある程度うまくいっていながら、その成功をフイにしてしまう。こうした見通しの甘さと視野に入っていない盲点から衝かれるというのは両者に共通しているとみていいのではないかと思います。その結果が呂布は曹操に斬首されるわけですし、劉備はせっかく培ってきた蜀漢の勢力を大幅に削ぐ結果となります。


 ・陳宮は呂布の知恵袋でしたが、呂布の滅亡を食い止めることができませんでした。それを食い止めるには力不足であり、完全にはカバーしきれなかったと言っていい。裏切りを繰り返し、孤立化し、味方を減らしていくことは明らかにマイナスでした。呂布はそれでも大丈夫だと思っていたようですが、実際はそうはうまくいかなかった。結果的には呂布の死刑ボタンを押したのは、かつて呂布が裏切った劉備の一言だったと言ってもいい。
 徐州で呂布が劉備を裏切っていなければ、もしも陳宮が止めていたら、結末は少しは違っていたのかもしれませんが。


 諸葛亮も同様に劉備の知恵袋でしたが、やはり同様にカバーしきれていなかった。交渉にもアラがあったし、見通しも甘く、夷陵に突き進む劉備を止めることがまったくできなかった。盲点から呉につつかれ続けてすべてがパーになってしまったと。
 言うほどこの呂布と劉備の二者が全くかけ離れていないし、むしろ非常によく似ていて似たような末路を辿っているように思えて興味深いなと思います。巨悪特有の、人にどう思われるかを気にしていないこと、人からどう見えるかの視点が欠けていてそこが致命的になっていること、そういう共通した現象がどうも多々あるらしいというのが非常に面白いなと思います。
 野心の呂布と義理堅い劉備として対極に描かれる二人ですが、言うほど両者は全く違っていたわけではないのではないかな、と思えますね(笑)




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