菜根譚36、評判と装飾(うわべを取り繕うこと、白起と韓信と呉起の話)






 「真に清廉である人は清廉であるという評判が立たないものである。評判になるというのはその人が名を求めている証拠に他ならない。
 本当に巧みな人は巧術を用いない。巧術を使うのは、拙いと言えるのである」


 ・これを聞いて思い出すのは、長平の戦い前ですね。


 秦の将軍白起(はくき)は趙を攻める前にウワサを流します。
 「秦軍は趙の将は廉頗(れんぱ)であってほしいと思っている。天才と噂される趙括(ちょうかつ)とは戦いたくないと思っている」
 これを聞いた趙軍は、総司令を廉頗から趙括に変えます。
 この人事を聞いて勝機を確信した白起は趙と戦うために最前線に行きますが、自分が行ったことは絶対に知れ渡らせないよう厳命を出します。そして老練な廉頗ではなく、噂だけが「天才」であり実際には実践の経験のない趙括を相手にして趙軍を散々に打ち破ることに成功します。

 ここで「秦の総大将は白起になったらしい」という評判が伝われば進軍は本気で勝つ気だなと趙は身構えていたでしょう。韓や魏、楚を相手より少ない兵士数で散々に打ち破ってきたこともあり、当時各国の間では「泣く子も黙る白起」状態だったわけです。その名前を前面に押し出せば相手が戦意を喪失し逃げ惑う可能性もあったでしょうが、しかし白起は名前を出さなかった。つまり、白起は自分の名を押し出すことで相手の戦意喪失を狙うのではなく、あくまで白起ではない将軍がきている、これなら大丈夫だという相手の安心感と油断を引き出して打ち破ろうと考えていた。
 勝って功名を上げようとか、そういうことも考えていなかったことが考えられます。相手に勝つ、それも大差を付けて完膚なきまでに叩きのめすという意志と思惑があり、その前では名など恐らくほとんど考えていなかったのではないか。手の内を相手に明かすことなくただ純粋に相手に勝つための計算をし続けるような、職人気質のようなものを感じられます。



 ・これは韓信なども似たようなところがあるといえるでしょう。
 「股夫(こふ)」として有名だった韓信は行く先々で「股夫」と舐められます。股夫に小細工など弄しては世間に笑われようとか、そもそも股夫なんぞに正々堂々と挑まなくてはと相手は勝手に舐めてくれた。これが韓信の用兵に大いに貢献していたところはあるでしょう。つまり、股夫として有名だった韓信は、功名について考えるまでもなく有名であり、功名が上がったところで汚名が消えるわけでもないので、そこにこだわる必要がなかったといえる。白起と同様に名前にこだわることなく純粋に作戦だけを練って戦いに挑むことができた。



 ・こうしてみてみると、評判や名を求めるというのは白起や韓信のこの場合で見れば、目的とは何ら関係ないどころか目的から遠ざかる性質を持っている場合があることがわかります。
 時と場合によってはそれはプラスに作用するときもあったでしょう。白起が来るというだけで敵が逃げ出し戦意喪失する場合もあったでしょうし、韓信が来ると聞けば斉などでは震え上がって驚いたものでした。そういう場合もあるわけですが、でもそればかりではないと。名前を聞いて警戒し、防備を固め油断しないようにされれば困ったことになる場合もある。つまり名前が目的にとってマイナスに働く場合もあるとなれば、手放しでは喜べないことも出てくると言えるでしょう。
 名誉とか名声も必ずしも絶対にいい、あって困ることはない……というものではないと。



 ・では「巧術」とは何かといえば、解説書にはただ「術」とだけありますが、恐らくこの流れで言えば
 「表面上巧みに見せる術」
 ということになるのかと思います。つまり、名声や名誉が表面を飾るものであるとすれば、そういう風に巧みに見事に見せかける術だと言えるでしょう。
 そうでないものをそう見せかけるとか、いかにもすごいように見せかける。装飾の類だし、そうして立派に着飾る、表面を取り繕うこと、そういう術に頼りすぎるのは拙いということではないかと思います。


 ・戦国時代に呉起という人がいましたが、魏に仕官しに行くと魏の文候は
 「わしは軍事など好まん」
 と言って呉起という男を軽くあしらおうとします。
 でも呉起は知っていると。
 この文候はとてつもなく大きく長い矛を作らせ、猛獣をかたどった派手派手な盾を用意し、敵を「威圧」することで制圧しようとするような軍備を固めていたわけです。
 これだけ軍備を増強していながら軍事に興味がないわけがないというところを呉起は衝きます。それどころか貴方は他国を圧倒して勝ちたくて仕方がないのでしょうと。


 ではこれだけの大きな矛を、一体誰か扱えるのかと問います。
 ところが文侯は答えられません。それは見かけ上のものでしかなく、実用など一切考えていなかったためです。
 呉起が説いたのは、そういうところにムダで巨額な出費をかけるのではなく、派手さはないがしっかりとした使えるいい武具を揃えることだと。軍備増強であり、富国強兵はこうしたやり方によって実現可能なのだと説くわけです。


 これに納得した文侯は呉起を重用し、魏は一気に領土を拡大しますが、文侯が死んだ後の魏とうまくいかずに呉起は魏を去ることを決意します。

 ・つまり、表面と実用という問題があると。
 表面を着飾ることが実際に効果を出す場合もあります。すごくでかい矛に猛獣をあしらった派手派手な盾を見て降伏する相手もいたかもしれませんが、でも実際に戦いが始まると誰も扱えないし、すぐに壊れるような粗悪な見かけ倒しのものでしかなかったわけです。
 それよりは実直に見た目は悪くても実用に耐えうる剣、それもいい剣を作らせて軍備増強を図ること。見た目は地味でもそれが富国強兵の一番のポイントであるというわけです。
 名を求め、表面を求め、さらにはそこに派手さを求める。それが有利に働く場合もありますが、それも実用性という段階がしっかりとあってのこと。むしろそうしたものが独り歩きを始めた際には、
 「なんだ、ただのこけおどしじゃないか」
 となった時にマイナスが大きいということも出てくる場合があります。つまりここで言いたいことは実直に仕事をし、それに対して身の丈に合った評判を持つということが大切だということではないかと思います。



 ・ところで、余談ですが孫子は「兵は軌道なり」と言っています。
 遠いものを近くに見せかけ、少ないものを多く見せかける。そうした化かし合いこそが戦争の本質だと。
 そういうのもあるというのはわかりますが、ではこの話とそれとは矛盾するものなのか。
 じゃあ見せかけの矛や盾というのはまさに「詭道」じゃないのかという話も成り立ちそうですが、でも恐らくそうではないと思うんですよね。
 本当は誰も扱えない武具をいかにも誰かが使えそうな感じで置いておく。でもそれは結局誰も扱えないわけです。つまり実践に耐えられるようなものではないのだと。そういう段階をすっ飛ばすということは果たして「孫子」の思惑に適っているかどうかと言えば私は適っていないと思います。


 竈(かまど)を多くしたり少なくしたりするとか、旗をたくさん指していかにも多数の兵士がいるように見せかけつつ、実はもぬけの殻とか。そうした兵法は数多く見られました。でもそこには明確な意図があったように思います。逃げるとか、戦うとか、情勢をより有利にもっていくとかですね。
 でもこの魏の文候にはそれがない。相手が怖気づいて戦意喪失してくれたら「ラッキー」というような希薄な願いしかない。つまりこれは兵法ではないし、そうした性質を持っているとは言い難いものではないかと思います。








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